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Search Results for: 吉益東洞

「太極」「無極」の意味 8

2019.09.23

20190916_211723.JPG

 

 

 

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これまでのお話し

 

「太極」「無極」の意味    

「太極」「無極」の意味 2 

「太極」「無極」の意味 3      

「太極」「無極」の意味 4 

「太極」「無極」の意味 5   

「太極」「無極」の意味 6

「太極」「無極」の意味 7    参照

 

 

さて、続きいきましょう!!

 

 

◆戴震の気一元論。

 

 

「太極」「無極」の意味 2に、『道教事典』に書かれてある「太極」の意味の変遷を書いたが、ここに、

 

18世紀に清代考証学の大成者と言われる戴震(1723-1778)が出て、「存在の根源を気に求める思想」を決定的にした。

 

とある。

 

 

まあ、歴史的には王夫之さんから戴震さんの流れで、朱子さんの「理気二元論」の考えにさらに批判が加わって、

 

「理よりも気!」

 

「気こそは動き(自然界の運動)であり、存在の根源!!」

 

という理解が決定的になっていったようです。

 

 

さてこの、戴震さんの「気一元論」というのはどんなもんなんでしょ??

 

 

気のことを考える時の決定版的書籍である東京大学出版会『気の思想』には、戴震さんが

 

「気化流行、生々して息(や)まざる」

 

という表現を好んで用いたことを挙げ、戴震さんが「理」によって規定を受けない気の自己運動を認め、たえず運動することこそ気の本質的な性格とし、

 

静止することよりも運動することの方に大きな価値を認め、かつ生命(自然)を大いに尊重する、という思想を表明した、としています。(P475)

 

 

つまり、有形(形而下)も無形(形而上)も、一切は気の動きであって、気のその場その時でのありように名前を付けたのが「理」であるとし、

 

このように定義すると「気」を離れて「理」は存在しえない、ということになり、「理」よりも「気」を優先する立場をとりました。

 

 

・・・とあります。

 

 

ホントは戴震の論と王夫之の論をもっと精査しなきゃならんけど、この戴震さんの考え方に、北辰会の「気」解釈はかなり近いと言えるんじゃないでしょうか。

 

 

因みに、江戸期、京都の儒学者である伊藤仁斎(1627-1705)戴震よりも約70年も早く、朱子の理気二元論を批判し、この「気一元論」を唱え、

 

後世に大きな影響を与えています。

 

伊藤仁斎という人物       参照

 

 

後世に大きな影響を与えたということと、先見性という意味でも、伊藤仁斎の功績は非常に大きいと評価すべきでしょう。

 

 

伊藤仁斎の後、このブログでも何度も出てきている香川修庵、後藤艮山、並河天民、吉益東洞といった著名な医家が出てきて、いわゆる古方派医学が台頭し、

 

「一気留滞説」「万病一毒説」などの、日本的といわれる「万病一元論」とでも言うべきもの提唱し、医療界にある種の革命を起こしていきました。

 

香川修庵という人物

後藤艮山という人物

墓マイラー 59 並河天民先生

吉益東洞(よしますとうどう)について      参照

 

 

 

約300年前の日本、江戸期のこの動きの延長線上に、現代でもよく言われるような

 

「中医学の弁証論治か、日本漢方の方証相対か。」

 

みたいな問題があることを考えると、ここらあたりの理解は非常に重要なことだと思いますね。

 

「弁証論治」を含む記事

「方証相対」を含む記事   参照

 

 

次回、「太極」を図示した「太極図」に注目してみましょう。

 

 

 

続く。

 

 

 

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『中国医学と日本漢方』

2017.08.27

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最近、舘野正美(たてのまさみ)先生の『中国医学と日本漢方』を読み始めました。

 

 

すでに前半部分は読了しましたが、色々嬉しいことが書いてあります。

 

 

この本は前半後半の二部構成。

 

 

前半に二章、後半に二章。

 

 

それぞれ、医学、哲学の観点から、『呂氏春秋』、『易』、『吉益東洞』、『中神琴渓』という、重要な書籍や人物に触れて下さっています。

 

吉益東洞(よしますとうどう)について

中神琴渓という人物

「易」を勉強する意味 2    参照

 

『呂氏春秋』についても、そのうち紹介しましょう☆)

 

 

まだ前半部分を読んだだけだけど、先秦時代の医療の主役は鍼だったんじゃないかとか、気の停滞こそが病とか、自然治癒力思想、東洋医学特有の形而上学的世界観、

 

など、僕の好きな内容に触れてくれています。

 

 

”正美”という名前からして、美人な学者さんを一瞬想像しますが、いかつい「鬼軍曹」みたいな感じのルックスの、大学教授の先生です。

 

(アメフトのコーチもやってらっしゃるんだとか。。。( ゚Д゚))

 

 

後半もサクッと読みます☆

 

 

 

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「察証弁治」と「弁証論治」 2

2016.11.30

20161115_010313.jpg

 

 

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前回のお話

 

「察証弁治」と「弁証論治」  参照

 

 

 

◆「察証弁治」と「方証相対」

 

 

「弁証論治」と言えば、「証を弁えて、論理的に治療する」一連の過程を言い、それは、現代中医学の基本になっています。

 

 

その現代中医学は、今や世界の東洋医学教育のスタンダードになってきました。

 

(というか、なっています。)

 

 

1840年のアヘン戦争以降、1955年くらいまで、約百年かけて、それまでの長ーい歴史をよく踏まえつつ、「弁証論治」という考え方が中国国内で形成されていくときに、

 

日本の医学の影響はなかったかと言うと、僕は少なからず「あったのではないか」と思っています。

 

 

◆参考 

 

「現代中医鍼灸学の形成に与えた日本の貢献」真柳誠

「中医学から見た日本漢方」平馬直樹

「曲直瀬道三の察証弁治」熊野弘子

「曲直瀬道三の察証弁治と中国医学の受容」熊野弘子

 

 

 

中国では戦乱の度に重要な医学書が散逸するのに対し、日本には重要な医学文献がいい保存状態で多く残っており、幕末の日本の医学者たちの文献学が世界最高峰であったのは、

 

森立之しかり、渋江抽斎しかり、このブログで紹介した通りです。

 

森立之という人物

墓マイラー10

渋江抽斎という人物

墓マイラー 25 渋江抽斎先生   参照

 

 

 

もともと、「弁証論治」と似たような考え方で、日本にあったのが曲直瀬道三(1507-1594)の「察証弁治」という考え方です。

 

 

でもまあ、曲直瀬道三の師匠である田代三喜(1465-1544)の、そのさらに師匠は中国人と言われています。

 

(諸説あるようですが。。)

 

曲直瀬道三(まなせどうさん)について

NHKに曲直瀬道三が参上!!

田代三喜(たしろさんき)という人物  

ツムラメディカルトゥデイ「漢方医人列伝 田代三喜」遠藤次郎 参照

 

 

要は、日本と中国は昔から、お互いに影響を与え合いながら、日本の医者も、中国の医者も、臨床現場、医学教育現場において、よりよいものを作ろうと工夫してきた歴史があります。

 

 

ところが、曲直瀬道三「察証弁治」は、難解であったのか、あまり日本の医家には定着せず、その後登場する医学界の革命児、吉益東洞(1702-1773)あたりから始まる、

 

「古方派」という学派の「方証相対」という考え方の方が、一般的には定着していったような歴史があります。

 

吉益東洞(よしますとうどう)について 参照

 

 

漢方家でない私が語るのは僭越なんですが、この「方証相対」という考え方は、要するに

 

「〇〇湯で〇〇という症状が治せる」

 

あるいは

 

「〇〇という症状が揃えば〇〇湯が効く」

 

という考え方だそうで、悪く言えば短絡的であり、今日よく批判の対象として問題になる

 

「症状漢方、病名漢方、症状配穴、病名配穴」

 

の根本的な原因である、という批判もある考え方ですが、一方で、分かりやすい、現場で運用しやすい、ピタッとハマれば特大ホームラン!

 

という側面もあるようで、現場の医師に好まれた歴史があるのでしょう。

 

 

この「弁証論治派」「方証相対派」の対立は、中国でも日本でも、未だに”一部では”続いていると言ってもいいと思います。

 

 

・・・うーん。

 

 

どうなんだろう。

 

 

 

仲良くやった方がいんじゃないすかね。。。(苦笑)

 

 

 

 

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東洋医学は宗教か。 目次

2016.09.11

_20160909_003720

 

 

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長くなりましたので、以下に目次にしました☆

 

 

是非もう一度、通しで読んで頂ければと思います。

 

 

東洋医学は宗教か。      現在の僕なりの医学観、医療観、宗教観。

 

東洋医学は宗教か。 2    僕自身の原初的な東洋医学観。

 

東洋医学は宗教か。 3    僕自身の実体験の中で、東洋医学を選択していった。

 

東洋医学は宗教か。 4    でもそれを人に強要しようとは思っていない。

 

東洋医学は宗教か。 5    実体験の中で「実感」することの重要性。

 

東洋医学は宗教か。 6    「宗教」とは。

 

東洋医学は宗教か。 7    「魂」とは。

 

東洋医学は宗教か。 8    宗教と医学医療の関係性

 

東洋医学は宗教か。 9    吉益東洞の思想

 

東洋医学は宗教か。 10   「鍼道」という言い方

 

東洋医学は宗教か。 11    宗教の定義の多様性

 

東洋医学は宗教か。 12    「哲学」とは

 

東洋医学は宗教か。 13    西洋医学と東洋医学の根本哲学の違い

 

東洋医学は宗教か。 14       「宗教」と「哲学」の違い

 

東洋医学は宗教か。 15    宗教や哲学、思想が対立するという現実

 

東洋医学は宗教か。 16    まとめ

 

 

 

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東洋医学は宗教か。 10

2016.08.29

_20160813_020144

 

 

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これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

東洋医学は宗教か。 2 

東洋医学は宗教か。 3

東洋医学は宗教か。 4  

東洋医学は宗教か。 5

東洋医学は宗教か。 6 

東洋医学は宗教か。 7 

東洋医学は宗教か。 8  参照

 

 

さて、どんどんいきましょう。

 

 

◆「鍼道」という言い方

 

 

さて前々回、宗教と医学の距離、関係性を示し、前回、吉益東洞(1702-1773)先生の医学に対する考え方を紹介しました。

 

 

ところで日本には「〇〇道」という言い方があります。

 

 

柔道、剣道、空手道、書道、花道、茶道、陰陽道、修験道などなど。

 

 

この「道」という言葉は、もともとは古代中国の道家や儒家が言った言葉だそうです。

 

(特に道家)

 

カテゴリ 道教・道家思想

カテゴリ 儒教・儒家思想 参照

 

参考 Wikipedia「道」

 

 

まあ要するに、哲学用語として、「宇宙自然、森羅万象に通じる普遍的な法則」あるいは「真理、根元」というような意味で使われる言葉です。

 

 

本来は「〇〇道」という言い方は、全てを〇〇中心の生活にし、その道を極めることに一生を費やす、というような意味になります。

 

(現代では随分軽く扱われてしまっていますが(苦笑))

 

 

だから、「道」を通じての人間的な成長や、「道」の対象となるものを極めようと一生精進することがあって、初めて本来の「〇〇道」になるわけです。

 

 

仏教なんかでもよく「求道者(ぐどうしゃ)」なんて言いますよね。

 

 

鍼にも、江戸期に「鍼道」という言い方をした有名な書籍があります。

 

 

「腹部打鍼術」の創始者、夢分斎の伝書である『針道秘訣集』と、葦原検校の『鍼道発秘』です。

 

 

これの詳しい解説は、藤本蓮風先生『弁釈針道秘訣集』横田観風先生『鍼道発秘講義』に詳しいので、そちらを読んでいただくとして、

 

ともかく日本にも「鍼道」という考え方がありました。

 

 

また、明治期の、近代鍼灸教育の父と言われる奥村三策(1864-1912)という人物が、

 

「鍼(しん)は神なり、心なり。」

 

という言葉を残しています。

 

奥村三策という人物

墓マイラー 32 奥村三策先生      参照

 

 

僕も随分前にこのブログ上で「鍼灸道」という言葉を述べさせて頂きました。

 

評論家

「鍼灸道」 参照

 

 

まあ現在、自分自身が鍼灸に関わってからの16年余りを素直に振り返れば、鍼灸道に只管邁進することが、自分自身の行動基準まで差配してきた面は、

 

実際に「ある」と思います。

 

 

であれば、僕にとって鍼灸はまったく宗教、信仰とも言えるか。(笑)

 

 

 

続く

 

 

 

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東洋医学は宗教か。 9

2016.08.28

_20160827_033540

 

 

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これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

東洋医学は宗教か。 2 

東洋医学は宗教か。 3

東洋医学は宗教か。 4  

東洋医学は宗教か。 5

東洋医学は宗教か。 6 

東洋医学は宗教か。 7 

東洋医学は宗教か。 8  参照

 

 

さて、どんどんいきましょう。

 

 

◆吉益東洞先生の医学

 

 

前回、日本や諸外国でも、医学と宗教はもともと一体のものであったのが、近代になるにしたがって「体」の問題は医学が、

 

「心」「魂」の部分は宗教が、という風に役割分担が出来てきた、しかし「医学」「宗教」の距離は今でも近く、

 

今でもややあいまいな部分すらある、というお話をしました。

 

 

しかしながら、我々は現代日本の医療人、社会人です。

 

 

いくら日本人は様々な宗教に対して鷹揚であるとは言っても、近年の一部のカルト宗教に対するマイナスイメージが、

 

総合的、全体的には強いでしょう。

 

 

しかも、東洋医学、特に鍼灸医学は、国民皆保険制度の中でも立場が弱い。

 

 

そうした中で、社会人、医療人、東洋医学の鍼医者として、どうあるべきか。

 

 

患者さんが安心してかかれるように、また、これから東洋医学を学ぶ人が安心して学べるようにしていかなくてはいけないと思います。

 

 

ここで、一つの参考として、以前私も墓参し、このブログ上で人物紹介した、江戸期の名医、吉益東洞先生の考え方を紹介します。

 

吉益東洞(よしますとうどう)について

墓マイラー3             参照

 

(そう言えば僕の墓マイラーのきっかけになった、蓮風先生の勧めも、吉益東洞でしたね。何か意味があるのかもしれません。。。)

 

 

この先生は、当時としては革命児的な存在で、かなり極論をぶって、医学界に論争を起こしたことでも有名なんですが、僕が好きなのは、

 

「俺たちは医者だろ?治してナンボだろ??」

 

という彼の主張です。

 

 

ゴチャゴチャと理屈ばっかりこねて、お高くとまって、結局は治せない、当時の医者を、バッサリと断罪したのです。

 

 

1759年、彼が57歳の時に書いた『医断』という本は、当時の医学界に大論争を巻き起こしました。

 

 

そして10年後の1769年、彼が死の3年前、67歳の時に書いた『医事或問』という本は、その論争を受けて、反論を十二分に咀嚼し、

 

彼自身の考えをまとめた本です。

 

 

そしてその内容は、『医事或問』が出版されてから約150年後、当時の政府によって東洋医学が排斥されていた、東洋医学にとっての暗黒期である明治の末期に、

 

和田啓十郎先生に大きな影響を与え、『医界之鉄椎』という本の出版に連なり、それ以降の漢方復興運動の端緒となりました。

 

和田啓十郎という人物

墓マイラー 39  和田啓十郎先生    参照

 

 

今から250年前に書かれた本が、今から100年前の超アツい先生に影響を与え、それが現代でも大きな影響を持っているとは、

 

歴史って素晴らしい。

 

 

僕らでは想像も出来ないようなアツいアツい先生たちが、ちょっとづつちょっとづつ積み上げて、作って来たんですよ、今を。

 

 

それをよくよく考えるべきですね。

 

 

・・・まあ前置きが長くなりましたが(苦笑)、そこに何が書いてあるかというと、問答形式で色々なことが書いてあるのですが、一番有名なのは

 

「生死は知らぬ。」

 

という吉益東洞の文句でしょう。

 

 

これは、吉益東洞の医学の核心部分とも言われます。

 

 

普通に聞いたら、

 

「え!?なんで?医者なのに??」

 

と思う人が多いと思います。

 

(当時もそう思う人は一定数いたようです。)

 

 

これを簡単に略して言えば、

 

「生死というのは天が司るところで、医者がこれに拘ったり恐れたりすると、迷ってしまって正確な治療が出来ない、

 

しかし、これが本当に理解できると、迷うことはない。本当の医療が行える。これを心に覚悟しないものは、医者とは言えない。」

 

とまで説きます。

 

 

患者さんの死を前にして、妙にうろたえたり、どうにか死なないようにと考えて、治療でないことをするならば、それは医者ではない、というのです。

 

 

生き死にの問題は天、病気治しは医者、と喝破したわけです。

 

 

いわゆる「姑息的な対症療法」でお茶を濁すことが蔓延する現代にも、非常に重く響く、厳しい言葉だと思います。

 

(まさにこの考え方が”医界之鉄椎”の引き金になる訳です。)

 

 

でも、中途半端な医者がこれを教条にしてしまうのは、実に危険なのでご注意を。(笑)

 

 

こういうスリリングさ、主張の激しさが、吉益東洞の魅力でもあります。

 

 

続く

 

 

 

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とある臨床家との出会い

2015.08.10

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昨日、とある鍼灸臨床家に出会った。

(さらに…)

「四逆散」というお薬 10

2015.06.17

_20210405_180425

 

 

 

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これまでのお話

 


「四逆散」というお薬
「四逆散」というお薬 2  
「四逆散」というお薬 3
「四逆散」というお薬 4
「四逆散」というお薬 5
「四逆散」というお薬 6
「四逆散」というお薬 7
「四逆散」というお薬 8 
「四逆散」というお薬 9
        参照

 

では続きいきましょう!!

 

 

今日もまた、四逆散に関して、違う先生の意見を考えてみましょう。

 

まあこの辺で、キリがないので、そろそろラストにしましょうかね。(笑)

 

今日は、知る人ぞ知る名医、内藤希哲(1701-1735)先生です。

 

なんとこの先生は、惜しいことに今の僕と同じ年齢、34歳で、急病でこの世を去っています。

(・・・うーん、悔しかったんじゃないかなー。どうかなー。)

 

そしてこの先生はあの吉益東洞と1歳違いなんです。

吉益東洞(よしますとうどう)について 参照

 

まあただ、残念なことに、二人は会いはしなかったようです。

 


もし会って、意見を交換していれば、その後の日本の東洋医学の流れは大きく変わったかもしれません。

 


そのぐらいのレベルの先生です。

 


 


この先生が書いた『医経解惑論(いけいかいわくろん)』という有名な書物の話は、蓮風先生の話の中にも、たまに出てきます。

 

まあ、この先生も特別な先生なんで、あとでまた詳しく紹介しようと思いますが、歴史に「もし」はないけど、この先生が長生きして、

数百人、数千人という数の弟子を育てていたら、もしかしたら現代の病名漢方、症状漢方、病名配穴、症状配穴などの間違った流れは、

キチッと是正されていたかもしれません。

 

 


まあともかく、そんな内藤先生が生前に書きかけていた原稿を、弟子たちが仕上げ、内藤先生が亡くなってから、実に100年後に発刊された『傷寒論類編』という本に、四逆散について書いてあります。

 


「四逆散は、”気滞”が少陰病みたいな症状を生じた場合の薬である。外邪によるものではないけど、四肢逆冷、無熱だから、少陰病のところに書いてある。

脈は結滞して沈実、決して微弱ではない。諸々の本を読むと、四逆散証の時に出る咳や動悸や下痢や腹痛などは、邪熱で説明しているが、違う。陽気の気滞である。」

と、四逆散証で起こる諸現象を、熱で説明している、ほかの先生方をバッサリとやっています。(笑)

 


そして、脈に関する知見を加え、熱は関係ない、外邪も関係ない、あくまでも内傷であり、気の停滞なんだ、と説明しています。

 

内藤先生の本は、他者をコテンパンに批判しているところがあって、読んでいて非常にスリリング、ある意味痛快なんですが、まあ、あまり人のことを悪く言いすぎるのも、ちょっとどうかとも思います。

 

やや、自意識過剰、自信過剰だったのかもしれません。

 

(苦笑・・・まあ若くしてあれだけの内容を書く先生ですから、自惚れるのも分からないでもないです。)

 

でもまあ、他者否定の裏側にある、非常に過剰な自意識(この場合、自分が実際に治すことが出来た経験からくる自信)が、この先生の素晴らしい臨床を生み出し、

 

それが、この先生の存在を唯一無二のものにし、その名前を、現代にまで響かせている面もあるんだろう、とも思いますね。

 

・・・彼は「天才」と評されることも多いのですが、著書に書いてあることとか読むと、天才というよりは、感動的なほどの誠実さを持った、田舎の努力家です。

(特に序文)

 

興味のある人には、ぜひ読んでほしいですね。

「四逆散」というお薬 11  に続く

 

 

 

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家族や友人や自分を、治療できるのか。

2013.08.10

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ドイツの医師が書いた本に、『医師と患者』という本があります。

(さらに…)

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