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「孟子」という人物 2

2014.05.03

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前回のお話・・・

「孟子」という人物


では続きいきます!!

◆孟子と荀子


前回、孟子は「性善説」を唱え、荀子は「性悪説」を唱えた、というお話をしました。


そして、
「荀子」という人物(その2)の中で、「性悪説」が意外と誤解されている、というお話もしました。


今日は、孟子の「性善説」も、けっこう誤解されがち、というお話です。


「性善説」と聞くと、人間はみんないい人に決まってるから、信じていいんだよ、という考えのように聞こえますが、

それはちょっと違う。


孟子は、人間の本性として「四端(4つの端緒、心の兆し)」というものがあると述べました。


この「四端」というのは、

  • 「惻隠(そくいん)」(他者を見ていたたまれなく思う心)
  • 「羞悪(しゅうお)」(不正や悪を憎む心)または「廉恥(れんち)」(恥を知る心)
  • 「辞譲(じじょう)」(譲ってへりくだる心)
  • 「是非(ぜひ)」(正しいこととまちがっていることを判断する能力)


の4つで、これらを努力して学び、それぞれ伸ばすことで、それぞれが「仁・義・礼・智」という人間の4つの徳に到達する、

と唱えました。


どういう事かというと・・・、

  • 「惻隠」は仁の端(端緒、きざし)であり、
  • 「羞悪」(「廉恥」)は義の端であり、
  • 「辞譲」は礼の端であり、
  • 「是非」は智の端である。

    と考えた訳です。



そして、この「四端」”努力”して伸ばさない限り、人間は禽獸(きんじゅう。けだものの意)同然の存在だと言い放ちました。(笑)


だから孟子は決して、人間は放っておいても「仁・義・礼・智」の徳を身に付ける立派な存在、善人、などとは言っていないわけです。


むしろ、努力しない人間についてはケダモノヤロー扱いです。(爆)


一方、荀子は、人間の本性とは欲望的存在であるが、学問や礼儀という「偽」(こしらえもの、人為)を後天的に身に付けることによって、

「公共善(※)」に向うことができると主張しました。

※公共善・・・個人や部分的な集団が追求する善(価値)ではなく、政治社会全体にとっての公共的な善(価値)を表す観念。「共同善」ないし「共通善」と表現されることもある。


つまり二人の共通点は、

「努力すれば出来るようになる、という、人間の可能性への信頼」

なのであります。


そして、二人の相違点としては、孟子は

人間一人一人がみんな努力すれば、社会も治まる、

と楽観的に考えたのに対して、荀子は、

社会を治めるためには君主が”制度”を作らなければならない、

と考えたことから、それぞれ後世に大きな影響を与えました。


続く



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