東洋医学 伝統鍼灸 清明院

お電話

03-6300-0763

10:00~21:00(完全予約制)

休診日:日曜(土曜、祝日の診療は18時迄)
〒151-0053東京都渋谷区代々木2-15-12クランツ南新宿601
初診・再診の御予約、予約の変更、
その他お問い合わせはこちら

東洋医学は宗教か。 16

2016.09.10

_20160827_034424

 

 

**********************************************************************************************
      にほんブログ村 健康ブログ 鍼灸(はり・きゅう)へ
  ↑↑↑        ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>

クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************

 

 

これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

東洋医学は宗教か。 2 

東洋医学は宗教か。 3

東洋医学は宗教か。 4  

東洋医学は宗教か。 5

東洋医学は宗教か。 6 

東洋医学は宗教か。 7 

東洋医学は宗教か。 8

東洋医学は宗教か。 9

東洋医学は宗教か。 10 

東洋医学は宗教か。 11

東洋医学は宗教か。 12

東洋医学は宗教か。 13

東洋医学は宗教か。 14 

東洋医学は宗教か。 15      参照

 

 

さて、ここらでいったん、まとめましょ。(*‘∀‘)

 

 

このシリーズは、ここから波及する諸問題にまで手を付けていくと、キリがないです。(苦笑)

 

 

・・・まあ、語っている途中で、様々な興味深いテーマが出ましたので、追々、機会があったらそれぞれ個別に、詳しく書いてみましょう。

 

 

◆とりあえずの結論

 

 

平たく言えば、最初にも言ったように、

 

「東洋医学はあくまでも医学であって宗教ではないが、ある意味では、宗教的側面もないではない。」

 

というのが、今の僕の結論であります。

 

(まあ、フツーだね(苦笑))

 

 

医学であって宗教でないというのは、東洋医学は歴史的に見ても、巫術、呪術から脱却し、「気や陰陽」という自然哲学をもとに、病人の健康回復のために特化して展開された、

 

れっきとした「医学」であり、死後の世界や、輪廻や霊魂の存在を説き、民衆を幸福に向かってあまねく教え導き、救済する「宗教」とは、

 

対象も目的も内容も、性格が違うと思うからです。

 

 

東洋医学が対象にしているのはあくまでも「患者さん」「医者」であり、目的は病の治療です。

 

 

東洋医学は、その目的も対象も、宗教よりも、的を絞り込んでいると思っています。

 

 

従って、分けて理解するべきだと思います。

 

 

また一方で、宗教的色彩を帯びていると思う理由として、「信じる」というのがキーワードかな、と思います。

 

 

現代日本の医療界で、圧倒的にイニシアチブをとっている「西洋医学」の根底にある、最新の現代物理化学においては、

 

東洋医学がその理論のベースに置く「気や経絡経穴」というものの存在は証明されていません。

 

 

むしろ否定的、と言っていいでしょう。

 

 

でも、我々現場の東洋医学の医者は、それらの存在をある意味「信じて」「前提において」治療を行っています。

 

 

何故、そんなものが信じられるのかと言えば、我々は日々それらの存在を実感し、それらの存在を前提とした学術を駆使して治療にあたることで、

 

現実に病める患者さんが、実際に治っている現実に、日々接しているからです。

 

 

しかも、現代西洋医学が治せなかったような病が、治る場合があるからです。

 

 

そこに、現代における東洋医学(中国伝統医学)の大いなる存在意義や使命、可能性があると思います。

 

 

また、東洋医学が、『黄帝内経』以降、2500年もの風雪に耐えてきた伝統医学であるという、世界最古の伝統医学であるということも、

 

我々に自信をもたらしてくれている面もあるでしょう。

 

(西洋医学の歴史はせいぜいこの200~300年ですからね。)

 

意味のある未進化 参照

 

 

このような理由から、鍼灸臨床をやる上で、東洋医学の理論、学術に「僕は」依拠するようになった訳です。

 

 

依拠する上で、我々がこの、目に見えない、現代の最先端技術でも捕まえきれない、「気」という存在をある意味「信じている」というところが、

 

神仏や霊魂や死後の世界を「信じて祈る」行為なんかと、似ていると言えば似ているのかもしれませんし、その意味では、

 

宗教的と言えば宗教的と思います。

 

 

また、患者さん自身がその先生を「信じる」、鍼灸のことを「信じる」ことで、大きな安心感につながり、経絡経穴、臓腑の気の動きが結果的に良くなり、

 

鍼灸治療の効果が最大化する側面も、大いにあるでしょう。

 

 

ここも、宗教的と言えば宗教的。

 

 

そしてそういう、熱狂的に先生のことを信じている患者さんを、傍から見たら「熱狂的な宗教の信者」的な見方をされる場合も、あるかもしれません。(笑)

 

 

それも、宗教的と言えば宗教的。

 

 

 

 

でも、いくらそうやって信じたからって、やはり限界がある、なんでも治るというワケではない、ということも事実。

 

 

それを我々は、現代の医療のプロの端くれとして、よく理解していないといけません。

 

(東洋医学の限界というよりも、自分自身の学術の、現時点における限界を。)

 

 

・・・まあ、そもそも「医学」というものは、東洋であれ西洋であれ、それ以外であれ、100%、人間の心身をコントロールするなんてことは出来ません。

 

(それが出来ればもう神様だし、病人なんてこの世にいなくなります。)

 

 

ただ、蓮風先生が仰るように、人間の生老病死という自然の摂理(仏教の説く四苦)の中で、唯一、人間の力で抗うことが出来るのが「病」であり、

 

それに応える学問が「医学」です。

 

 

長い歴史の中で、人間の知恵が生んだ様々な自然哲学、人体観をベースに、色々な医学が生まれた訳です。

 

 

その中で、非常に強い存在感を放つものの一つが東洋医学、鍼灸医学なわけです。

 

 

・・・まーそういうことなんで、近年様々な事件を起こしているカルト宗教や、金儲けが主目的の連中や、胡散臭さが売りのオカルト論者なんかとは、

 

どうかステレオタイプ的に一緒にしないでほしいと、本当に思っています。(苦笑)

 

 

鍼灸医学は、悠久の歴史と、現代における確かな実効性、有用性を兼ね備えた、れっきとした伝統医学なのであります。

 

(部分的、一面的ではありますが、科学的根拠もあります。 日本鍼灸エビデンスレポート 参照)

 

 

だから東アジアだけでなく、世界中の多くの国々が国家資格や開業権などの制度としても認めている訳です。

 

 

あとまあ職業上、人の生き死にに大きく深く関わったり、病を治療することが、その人の人生そのものを救うことにも繋がりますから、

 

東洋医学の医者たる者は、宗教や哲学について、大いに学ぶべきだとも思います。

 

富士川游先生に学ぶ『医術と宗教』

思想を鍛える

根本思想と鷹揚(おうよう)性   参照

 

 

 

 

こういうことをよーく踏まえて、自分が医者として、人間として成長し、不動心で患者にあたれるようになればなるほど、

 

鍼灸の効果は素晴らしいものになっていくのだと思います。

 

(もちろん、基本となるような学術は徹底的に踏まえた上で、ですよ。)

 

 

あと、東洋医学は、東洋医学の医者の一生を、こうやって、最高に向かってずーっと指導しますから、医者にとっては、

 

宗教といっていいのかもしれませんね。(笑)

 

 

・・・まあ要は、何でもいんだよ、世のため人のためになりゃあ。

 

 

このシリーズも長くなったんで、次回、目次を付けて終わりますネ☆

 

 

 

読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!

 



   にほんブログ村 健康ブログ 鍼灸(はり・きゅう)へ

 


清明院オフィシャルサイト

 


清明院スタッフブログ『清明なる日々』

 

 

 

関連記事: 宗教と東洋医学

ブログ記事関連タグ

この記事に関するコメント

“東洋医学は宗教か。 16” への4件のフィードバック

  1. Mike より:

    毎日楽しく読ませて頂きました!東洋医学に携わる者にとっても大切な問題。

    残念ながら日本人が「宗教」と言えばイコール、カルト、mindコントロール、金、拉致の様な悪いイメージがオウム等様々な新興宗教事件から媚びり付いてますね(笑)、

    なのでその話は極力避けて通ろうとするのも無理ないと思いますが、16回にわたって取り上げた有先生には拍手を送りたいです。

    本気で臨床をしていけば、真剣に人間を見つめ、人の生死、生き様を考えていかざるを得ないと思います。心身一如ですからね〜

    ブログ12に、不動心でないと患者さんを引っ張っていけない…なのに鍼灸教育にその辺のコア(支柱)が無い。フラフラ迷わない為に根本哲学を鍛えるべき云々と。
    全く同感です。支柱となる根本哲学を持ってこそ真の不動心が確立され患者さんを救う事が出来ると思います。

    じゃ、根本哲学って何?という話しですが、有先生の言われた様に偏狭でなく、現実に人々を幸せにしていく思想ですよね。

    それを素問霊枢に求める人、何かの宗教に求める人、書物の中に求める人其々でいいと思います。真剣に人の幸せを考え行動しようとすれば、どこから求めても最終的には思想性は一致するんじゃないかな。

    また、その思想の浅深はその人の生き方の浅深に繋がるのでは無いでしょうか。

    最後にブログ9は一番心にタッチしました〜

    これからもワクワクするブログ書いて下さいね!

    ダラダラと拙いコメントでした(笑)

    • seimei-in より:

      Mikeさん

      コメント、ありがとうございます!!(^^)/
      難しかったですけど、とりあえずはこんなもんです。(苦笑)
      このことは、今後も考え続けていかないといけないと思いますね。

      > 真剣に人の幸せを考え行動しようとすれば、どこから求めても最終的には思想性は一致するんじゃないかな。
      > また、その思想の浅深はその人の生き方の浅深に繋がるのでは無いでしょうか。

      そうですね。
      Mikeさんらしいと思います。(^^♪

      > ブログ9は一番心にタッチしました〜

      吉益東洞ですね。
      彼の論はバッサリしてて豪快です。
      あのように言い切れるのは凄いと思いますね。
      きっと実際に会ったらメチャ迫力のある人物だったことでしょうね☆
      あの言い切りぶりの根底には、吉益東洞なりの医療哲学があるからですね。
      その徹底的に鍛えられた医療哲学から来る不動心が、あの発言となり、現代にまで影響を及ぼすのだろうと思います。

  2. ひろぽん より:

    はじめまして。私は今年鍼灸の専門学校に入学した鍼灸師の卵ですらない駆け出しです。
    勉強を始めてしばらくして思うようになったのが、
    「陰陽五行も経絡も、存在を証明しようとしてもできなくて、それをベースに色々論を立ててもそれは『良く出来た妄想の体系』なのかもしれない」というものでした。勉強が辛くなった学生の逃避かもしれませんが色々悩むうちの一つです。
    ふと検索で出会ったこの記事を読んでいると先生がお若かった頃同じような事をお考えになられていたと知り、自分だけではないのかと救われた気持ちです。その先には私のレベルではまだ進めません(まず勉強しろという話です)とても興味深い記事でした。ありがとうございました。

    • seimei-in より:

      ひろぽんさん

      コメントありがとうございます。

      鍼灸学校生活、頑張ってください。

      これから色々、悩むことや考えることがあると思いますが、とにかく鍼灸師として、
      自分で納得のいく日々が送れるように進めていくといいんじゃないかと思います。

      今後も拙ブログを宜しくお願い致します。

      竹下

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です



:上の図のアルファベットと数字を、左のボックスに御記入ください。 (迷惑コメント対策ですので、お手数おかけしますがよろしくお願い致します。)

 RSSリーダーで購読する

ブログ内検索
おすすめ記事一覧
カテゴリー
最近の投稿