東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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Search Results for: 「太極」「無極」

「太極」「無極」の意味 6

2019.09.21

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これまでのお話し

 

「太極」「無極」の意味    

「太極」「無極」の意味 2 

「太極」「無極」の意味 3      

「太極」「無極」の意味 4  

「太極」「無極」の意味 5      参照

 

 

さて、続きいきましょう!!

 

 

◆「陰陽論」ではなく「”太極”陰陽論」。 その②

 

 

さて前回は、蓮風先生の著書における「太極」のとらえ方を紹介し、北辰会が鍼灸臨床で「太極」をどう考えているのか、というお話を紹介しました。

 

 

僕らは、あくまでも現代日本の鍼灸臨床家なので、古代中国哲学や、哲学用語の歴史的変遷や、東洋医学のバイブルとされるような各種古典の内容を、

 

あくまでも現代日本人への鍼灸臨床に役立つような、理解運用の仕方をするように心がけています。

 

 

これが北辰会の提唱する「臨床古典学」という立場ですね。

 

 

因みに、(一社)北辰会では「無極」という言葉についてはあまり言及されないのですが、奥村裕一学術部長がかつて1997年に『全日本鍼灸学会誌』上に発表された、

 

「日本鍼灸古流派の研究-腹診および腹部刺鍼を中心として」

 

という論説の中に、日本の江戸期の医家による、腹部における「太極」「無極」という表現が出てきます。

 

 

ここについても今回、ついでなんで、あとで触れておきましょう。(∩´∀`)∩

 

 

・・・ところで、前回言うように、北辰会では「陰陽論」を単に「陰陽論」と言わずに、あえて「”太極”陰陽論」と呼んでいるのには、陰陽は偉大な哲学、分析学だけれども、

 

あくまでも常に「太極を踏まえた上で」分析することが重要だ、というメッセージが含まれています。

 

 

陰陽という「二」で考えつつも、常に太極と言う「一」の視点を外さないこと。

 

 

ですので「陰陽論」は単純な二元論ではなく、「二元的一元論」なのである、という重要な主張です。

 

 

陰陽論が、森羅万象に対する単なる分析学なのであれば、その境界線やものさしは精密で精緻であればあるほど良いわけですが、西洋医学のように、

 

電子顕微鏡レベルにまで精密精緻になってくると、出来ることや分かったことが増える一方で、分からないことも増えていき、時に「木を見て森を見ず」となって、

 

結果的にかえって「自然(人体)のトータルな全体としてのバランスの調和」を見逃す、見誤る、ということが起こりうる訳ですね。

 

 

手術はうまくいったけど亡くなってしまった、とか、血液検査の数値上は薬は効いているけど、全体的な体調としては悪化した、などですね。

 

 

ここに、よく言われるように、西洋医学で治らないものが、東洋医学では治ることがある、という事実の謎の一つが隠されているのではないか、と考えています。

 

 

上記の考えは北辰会方式のすべてを貫いており、以前紹介した「総合と総体」の話や、「直観と論理」の話にも通じてきます。

 

総合と総体(東洋医学の哲学)   

「直観」を含む記事              参照

 

 

あくまでも「気一元」の世界観。

 

 

色々分けるけど、そもそも分けれないもの「太極=太一」なのだ、ということが大前提なんです。

 

 

 

続く。

 

 

 

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「太極」「無極」の意味 5

2019.09.20

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これまでのお話し

 

「太極」「無極」の意味    

「太極」「無極」の意味 2 

「太極」「無極」の意味 3      

「太極」「無極」の意味 4   参照

 

 

さて、続きいきましょう!!

 

 

◆「陰陽論」ではなく「”太極”陰陽論」。 その①

 

 

ここまでで、「太極」の意味、「無極」の意味、さらには「太極と無極の関係」について、僕なりに考えてみました。

 

 

まあ簡単にまとめると、「太極」はもともとは中国哲学の古典中の古典である『易経』の宇宙生成論から始まって、歴史的変遷を経て、道教や仏教との接触、

 

「無極」という言葉との比較検討を経て、より理解が深まり、高度な哲学用語となって、今に至っている、という感じでしょうか。

 

 

・・・で、この「太極」なるものを、我々東洋医学をやるものがどう考えるか、という話なんですが、何年か前に私も北辰会でこの辺の話を講義させていただいたことがあるんですが、

 

その内容は蓮風先生の御著書、『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』に書いてあります。

 

 

この本の中で、「太極」の意味に関して、蓮風先生はシンプルに、3つの意味で纏めて下さっています。

 

 

つまり、

 

1.天地創造分化の大本

 

2.陰陽する場

 

3.認識以前の状態

 

この3つです。

 

 

 

1.はこれまでにも出てきている、生成論の話です。

 

 

まずは混沌とした状態があって、それが陰陽に分かれて、さらに細かく分かれて、万物となった、という話です。

 

 

この話は有名な『淮南子』にも出てきます。

 

『淮南子』を含む記事    参照

 

 

2.は、「陰陽」というのは要は森羅万象(気)の「動き」のことで、相対的に動的な面を陽、相対的に静的な面を陰、と分ける訳なんですが、

 

この、「陰と陽が交わり、関わり、相互に動く場」そのものを「太極」と言う、という理解です。

 

 

よく我々は、もう間もなく亡くなる患者さんの脈や腹を診察した時、所見が1日の中でもコロコロ変わる、という状況に接することがあります。

 

 

そんな時、

 

「いよいよ太極が小さくなってきた」

 

という表現で、その現象を評価することがあります。

 

 

まさに、生命が現象する場(太極)である脈や腹部が、非常に小さく、狭く、弱々しくなってくると、脈で言えば、早くなったかと思ったら急に遅くなったり、

 

強くなったかと思ったら急に弱くなったりしますし、腹で言えば、臍の位置がコロコロ変わったり、また、腹の状態と脈の状態がチグハグになったりします。

 

七死の脈⑩ 附録 形気の不和について

腹診における逆証所見 まとめ

「順証」と「逆証」について             参照

 

 

3.は、認識する主体が、対象物を認識する”以前の”状態を「太極」と呼ぶ、ということであり、五感なり何なりで、対象を認識した時点で、

 

すでにそれは太極から陰陽の範疇に入っている、という意味ですね。

 

(ただし、次回書きますが、陰陽であっても、必ず”太極を踏まえて”陰陽に分ける、分析する、という意識が大事です。)

 

 

つまり、我々が日々患者さんを診るということは、

 

1(生成論).太極から生じた万物の一部である患者さんを、同じく太極から生じた万物の一部である我々が、

 

2(場の論).患者さんそのものを太極と考え、それを踏まえた上で、陰陽という物差しでもって、

 

3(認識論).四診という手法で陰陽の不調和を認識し、それを調える

 

という行いである、ということです。

 

 

次回もう少し補足します。

 

 

 

続く。

 

 

 

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「太極」「無極」の意味 4

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これまでのお話し

 

「太極」「無極」の意味    

「太極」「無極」の意味 2 

「太極」「無極」の意味 3          参照

 

 

さて、続きいきましょう!!

 

 

◆朱子の言う「理気二元論」とは。

 

 

前回、

 

南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。

 

という文章を紹介しました。

 

 

・・・これ、どういう意味でしょ??

 

 

朱子さんが言うには、太極の本源が無極なのではなく、太極も無極も「理」の性質の一部、と同一地平で理解するわけですね。

 

 

ほんじゃ、朱子さんの言う「理」って何なんすかね??

 

 

まあ、生理学、病理学、物理学、心理学、理科学、義理、道理などなど・・・、現代日本語にもよく出てくる「理」という漢字

 

 

これは、日本にこの「理」という考え方が深く浸透していることを示します。

 

 

「理」については、簡単な字義解釈については、以前纏めました。

 

「理」の意味 5    参照

 

 

 

朱子さんはそれまでの説をまとめ、再構成して、壮大な学問(朱子学)を構築した訳ですが、彼の言う「理」の持つ意味は、文脈によってなかなか多義性があるようですが、

 

要するに中心的な意味を一語で言えば

 

「ものごとの法則」

 

ということだろうと思います。

 

(ホントはこれを言うために性即理理一分殊について書かないとなんだけど、煩雑になるので、ここでは割愛します)

 

(なお、これらの解釈は山田慶児『朱子の自然学』P444、大濱晧『朱子の哲学』P33、島田虔次『朱子学と陽明学』P60などを参考にしています。)

 

 

・・・なんかこれ、道教の言う「道(タオ)」と似てますね。

 

道教・道家思想    参照

 

(文脈によっては”同義”と書いている本もあります。)

 

 

・・・で、この形而上の概念である「理」と、形而下の概念である「気」は別のものだけど、両者は離れて存在することは出来ないよ、という風に説明して、

 

この世界(宇宙)の存在を説いたのが、朱子さんの有名な「理気二元論」てやつなんだそうです。

 

「形而上学」と「形而下学」 2     参照

 

 

・・・で、この朱子学、「理気二元論」においては、有の原理である「太極」も、無の原理である「無極」も、形而上の法則である「理」の基本的な性質であるとして、

 

優位性や先後論なしに、同一次元でマルッと纏めた訳ですな。

 

 

これを、あえてもう少し詳しく言うと、『朱子語類 巻九十四』にあるように、

 

「無極は有理にして無形。・・・太極はこれ五行陰陽の理。」

 

とあるように、要は

 

「”理”の無形の面を無極、”理”の陰陽五行(つまり物質も含む”気”のこと)の根源である面を太極」

 

と言ったわけです。

 

 

さらにこれを、僕なりにかみ砕いていえば、

 

「”理”が物質を超越した面を無極、”理”が物質と連関する面を太極」

 

と言ったわけですね。

 

(・・・と、今のところ僕は解釈しています。)

 

 

朱子さんは、それが周敦頤『太極図説』にいう「無極而太極」の意味である、と説くわけです。

 

 

太極と無極に違いはあるけど、「理(ものごとの法則)」という意味では同じであると。

 

 

・・・さて次に、なぜ蓮風先生がこの医学における陰陽論をわざわざ「太極陰陽論」と言っているかについて、考えてみましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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「太極」「無極」の意味 3

2019.09.18

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これまでのお話し

 

「太極」「無極」の意味    

「太極」「無極」の意味 2    参照

 

 

さて、続きいきましょう!!

 

 

◆「無極」の意味

 

 

(一社)北辰会の会員諸氏にとって、この「太極」「無極」というパワーワードは、非常に気になるワードでしょう。

 

 

また北辰会の会員以外の先生方も、東洋医学の勉強がある程度進んだら、気になる人は多い筈。

 

 

 

僕がちょうど北辰会にチョロチョロと出入りするようになった2000年代の初頭の頃、蓮風先生はよく「初学者のための太極陰陽論」というテーマで講義なさっていました。

 

(当時は難解で、聴いていてもよく分かりませんでしたが。。。(∩´∀`)∩)

 

 

その講義内容を分かり易くまとめた本が『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』です。

 

 

因みにこの本は、堀内齊毉龍先生『弁証論治のための論理学入門』と姉妹編になっていることも見逃せません。

 

 

しかも、蓮風先生の御尊父である藤本和風先生「無極会」という勉強会を主催されていたことでも知られています。

 

(残念なことに、無極会は現在はありませんし、無極会としての著作も残っていません。。。)

 

 

・・・まあそんな訳で、このワードは藤本家、北辰会が非常に大事にしていることが分かります。

 

 

東洋医学の考え方を理解していくうえで、また、北辰会方式を習得していくうえで、妙に気になる、この「太極」「無極」に対する理解というのは、

 

根本哲学に関わるという意味で、重要ではないでしょうか。

 

 

前回、北宋代の周敦頤(1017-1073)「無極而太極」という、これまたパワーワードを紹介しました。

 

 

ここで、まずは「無極」について調べてみましょう。

 

 

平河出版社『道教事典』によれば、

 

 

◆無極

 

元来は”極まりない”という意味。

 

『老子』『荘子』『列子』に、無名、無物、無形などとともに、”無”の様態を形容する語の一つとして、哲学的意味を付与されている。

 

「老子」という人物

「荘子」という人物

『荘子』の渾沌のお話

「列子」を含む記事          参照

 

(列子に関しては紹介してなかったですね、良い機会なんで、これも書きましょう!!)

 

 

その後、『易経』の「太極」とともに、”太極=有の原理”、”無極=無の原理”として、より重い意味を持つようになる。

 

『易経』を含む記事    参照

 

 

つまり、有の本源に無を置くという思想から、儒教を超える道家思想、という図式を表現した。

 

道教文献の中にはもちろん”極まりない”という意味での「無極」という使われ方もあるが、主に、”太極の本源としての無極”という用例が目立つ。

 

また、「無極」を、経典そのものや、神仙の名称としても用いている。

 

南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。

 

(んー、ここはムツカシー(゜o゜))

 

(以上引用。土田健次郎氏の文章を竹下が抜粋要約補足改変。)

 

 

 

 

・・・まあなるほど、「無極」はもともとは諸家の本に出てくる、極まりない、というほどの意味の言葉だったのが、『易経』の太極(生成論の最初を意味するアレね)と比較検討されていくことで、

 

理解が深まっていき、これも認識論哲学的な、重い意味を持つようになった、と。

 

 

このように、儒家の考え方と道家の考え方というのは、時代時代で接触したり離れたりしつつ、言葉の意味の検討を通じて、切磋琢磨してきた歴史があるようですね。

 

(また、古代中国で、インドから来た仏教を理解するのに、道家や儒家の考え方がその解釈に入っていったことも興味深いですね。)

 

 

まあ、「太極」「無極」という熟語の理解においては、宋代の周敦頤から朱子の流れがやはり決定的であるようで、ここをもう少し理解するためには、

 

朱子学における「理」の意味を少し掘り下げて理解した方がいいように感じます。

 

 

 

続く

 

 

 

【参考文献】

 

『道教事典』平河出版社

 

 

 

 

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「太極」「無極」の意味 2

2019.09.16

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前回のお話し

 

参照

 

 

さて、続きいきます。

 

 

まずは辞書引きからいきましょうか。

 

 

平河出版社『道教事典』によれば、

 

 

 

 

◆太極

 

天地万物の根源。

 

『易経』の生成論(太極→両儀→四象→八卦)の最初。

 

『周易正義(※)』においては”一元の気”と説明。

 

 (※)唐代に国家事業として編纂された儒教経典の注釈本『五経正義(653年)』の一つ。

 

北宋の周敦頤(1017-1073)は、太極の無形であることを強調するために「無極にして太極」の語を用いた。

 

さらに周敦頤は、『周易』の生成論を補足拡大して「無極而太極→陰陽→五行→八卦→万物」と述べた。

 

その後、南宋の朱子(朱熹 1130-1200)は『太極図説解』の中で周敦頤の「太極而無極」を重んじ、「無極を太極の本体」「太極を無極の作用」としつつ、太極無極の不即不離化をはかった。

 

朱子はさらに「体用論」「理気説」の立場で宇宙を認識せんとした。

 

このように、「太極」という熟語は生成論から始まり、朱子に至って認識論という意味を付与される、という変遷をした。

 

その後、17世紀に明末清初の儒学者、王夫之(1619-1692)が朱子の理気説に反論して「気が理に優先する説」を徹底させた。

 

因みに王夫之の思想は後の毛沢東にも影響を与えたと言われる。

 

さらにその後、18世紀に清代考証学の大成者と言われる戴震(1723-1778)が出て、「存在の根源を気に求める思想」を決定的にした。

 

(以上引用、花崎隆一郎氏の文章を竹下により抜粋補足意訳、箇条書きに変更。)

 

 

 

 

もともとは万物が陰陽に分かれる前の混沌とした状態のことを「太極」と呼んでいたようですね。

 

 

それが、宋代になって、ものごとを認識する際の認識論哲学の用語としても用いられるようになった、という感じでしょうかね。

 

 

「体用論」については以前少し書きました。

 

「体用理論」に関して 5    参照

 

 

話しが難しくなってきましたが、東洋医学をきちんとやるなら避けて通れないこの難題、徐々にまとめていきましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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「太極」「無極」の意味

2019.09.15

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こないだ、大先輩と呑んでいて、「太極」「無極」の話になった。

 

 

清明院も10月で十周年。。。

 

 

実は清明院のロゴは、中国北宋の時代、かの周敦頤(1017-1073)『周氏太極図』から取ったものです。

 

 

wp-1589886566650.jpg

 

↑↑これね。(『太極図説』より)

 

 

清明院ロゴマークについて    参照

 

 

因みにこの図の来源については諸説あり、これに関しては勉誠出版の『占いの想像力』がとても参考になります。

 

 

西洋医学とは人体観を異にする、この医学の大前提となる自然観、宇宙観、宇宙開闢論。

 

 

ここらあたりを考える上で外せないのが「太極」「無極」というものに対する理解です。

 

 

いつか書こう、そのうち書こう、なんて思っている間に、あっという間に10年が経ちました。。。

 

 

ここらで、10周年記念て感じで、難しいテーマですが、なんとか書いてみましょう!!

 

 

 

続く

 

 

 

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