東洋医学 伝統鍼灸 清明院

お電話

03-6300-0763

10:00~21:00(完全予約制)

休診日:日曜(土曜、祝日の診療は18時迄)
〒151-0053東京都渋谷区代々木2-15-12クランツ南新宿601
初診・再診の御予約、予約の変更、
その他お問い合わせはこちら

補瀉 46

2016.04.16

_20201108_211724

 

 

 

 

**********************************************************************************************
       にほんブログ村 健康ブログ 鍼灸(はり・きゅう)へ
   ↑↑↑        ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>

 


クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************

 

 

 

これまでのお話・・・

 

 

補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法 

補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法

補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法

補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法

補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法

補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法

補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法

補瀉 8  『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法

補瀉 9  『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法

補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法

補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法

補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法

補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法

補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法

補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ

補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ

補瀉 17 『難経』71難における補瀉

補瀉 18 『難経』76難における補瀉

補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き

補瀉 20 『難経』78難における補瀉

補瀉 21 『難経』79難における補瀉

補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ

補瀉 23    孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉

補瀉 24   金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉

補瀉 25     金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉

補瀉 26     明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉

補瀉 27     明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その2

補瀉 28   明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その3

補瀉 29     明代、李梃『医学入門(1575)』における補瀉

補瀉 30   明代、高武『鍼灸聚英(1529)』における補瀉

補瀉 31   現代中医学における補瀉

補瀉 32     日本における補瀉の受容

補瀉 33    『針道秘訣集』における補瀉

補瀉 34    『杉山真伝流』における補瀉 1

補瀉 35  『杉山真伝流』における補瀉 2

補瀉 36     永田徳本(1513?-1630?)『鍼灸極秘伝』『徳本多賀流針穴秘伝』の補瀉

補瀉 37   『杉山流三部書』における補瀉 

補瀉 38     岩田利斉『鍼灸要法』における補瀉

補瀉 39    岡本一抱『鍼灸抜萃大成』における補瀉 

補瀉 40    本郷正豊『鍼灸重宝記』における補瀉 

補瀉 41  菅沼周桂(1706-1764)『鍼灸則』における補瀉 

補瀉 42  石坂宗哲(1770-1841)『鍼灸茗話』における補瀉 

補瀉 43  坂井豊作(1815-1878)『鍼術秘要』における補瀉 

補瀉 44   澤田流における補瀉 

補瀉 45  柳谷素霊先生、経絡治療学会における補瀉     参照

 

 

では続きいきます!!

 

 

昭和に入り、澤田健先生によって起こった澤田流柳谷素霊先生によって起こった経絡治療学会、そして、幕末、明治から続く、

 

鍼灸医学を現代の西洋医学の論理で説明しようとする学派(いわゆる現代医学派)、これらの大きな流れは、その後の鍼灸界に大きな影響を与えていきます。

 

 

しかしそんな中、大東亜戦争、そして敗戦によって、日本の鍼灸界は再び受難します。

 

 

敗戦後、GHQによって、再び鍼灸を廃止する動きが起こりました。

 

 

理由は以下の4つです。

 

1.視覚障がい者による治療が行われている。

2.消毒の観念が定着していない。

3.医療としての教育制度が整備されていない。

4.治療効果の科学的根拠が証明されていない。

 

 

その時も、当時の全国の先生方が一丸となって東奔西走して、1947年(昭和22年)、どうにか制度的廃止を食い止めた歴史があります。

 

 

GHQが鍼灸を廃止しようとした理由の一つに、

 

「医療としての教育制度が整備されていない」

 

というものがあり、鍼灸の教育制度を整えることは急務であり、昭和30年代以降、徐々に徐々に、全国に鍼灸学校が増え続けました。

 

 

私が現在講義させていただいている東洋鍼灸専門学校も、柳谷素霊先生が創立した学校であり、私が卒業した、渋谷にある花田学園の創立者である花田傳先生も、

 

もともとは柳谷先生のお弟子さん(というか仲間)でした。

 

(年齢は花田先生の方が10歳くらい上のようです)

 

 

そう考えると、何やら縁のようなものを感じますね。

 

 

因みに、柳谷先生は、藤本蓮風先生のお父様である藤本和風先生にも、一度会っているそうです。

 

(出雲の鍼灸師会の勉強会に柳谷先生が見えて、モデル患者を治療したそうです。その主催者サイドだったのが和風先生。実にワクワクする顔合わせですね。)

 

 

まあともかく、そういった流れの中で、戦後、様々な鍼灸学校の設立とともに、様々な流派、学派、研究会が全国に誕生していきます。

 

 

大きく見れば、その中の一つが、現在私がお世話になっている、北辰会であるわけです。

 

 

◆北辰会における「補瀉」

 

 

北辰会では、このブログで長々と語ってきたこの「補瀉」という問題について、 その教科書である『北辰会方式 理論編』の中で、

 

”補瀉と刺鍼”という章を設けて、約30ページに渡って解説しています。

 

 

その中で、補法と瀉法を

 

「補法は気血が虚ろになっている部分に気血を充実させる方法。瀉法は気血や邪気が欝滞しているところを散らし巡らせ、

 

場合によっては気化させる方法。」

 

と定義し、さらに”医易学的な補瀉の解釈”を紹介したうえで、補瀉が単純なプラスマイナスではないことを説明し、

 

実際の臨床事実から、補法よりも瀉法の重要性、また、補法をした結果、瀉法的に働くことや、その逆の例もあることから、

 

補瀉に関して、単純な二者択一的な判定が出来ないケースもある、ということを述べています。

 

(医易学については、壮大なテーマですが、いつか語りましょう。)

 

 

そして、いくら瀉法が重要であると言っても、瀉法の目的は、邪気を散らすことによって正気を守ることなのである、

 

という部分をポイントとして強調しています。

 

 

つまり補瀉の目的は、正気(治る力)を高めることにあるのです。

 

 

また北辰会では、中医学や、他の流派が述べているような複雑な補瀉手技については、もちろん過去に理解、追試した歴史的経緯はあるにせよ、

 

現在では補瀉するにあたって、ほとんどと言っていいほど手技を使わない、という結論に至っています。

 

 

この辺の話をして、いよいよまとめましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!

 


   にほんブログ村 健康ブログ 鍼灸(はり・きゅう)へ

 


清明院オフィシャルサイト

 


清明院スタッフブログ『清明なる日々』

 

 

 

 

関連記事: 補瀉

ブログ記事関連タグ

この記事に関するコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です



:上の図のアルファベットと数字を、左のボックスに御記入ください。 (迷惑コメント対策ですので、お手数おかけしますがよろしくお願い致します。)

 RSSリーダーで購読する

ブログ内検索
おすすめ記事一覧
カテゴリー
最近の投稿