東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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12.16 東京衛生学園特別講演会!!

2018.10.19

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昨日、11.24(土)~25(日) 日本伝統鍼灸学会 大阪大会に関して告知しました。

 

 

これを読んだ人は全員来ましょう。(゚∀゚)

 

 

・・・で、告知が続きますが(苦笑)、今日は12.16(日)に開催される、毎年年末恒例の、(一社)北辰会、東京衛生学園特別講演に関して告知します!!

 

 

この特別講演は、かれこれもう10年くらい前から、毎年やっているんじゃないでしょうか。。。

 

 

10年くらい前、ある先生方との呑みの席で、パパっと開催が決まったこのイベント。(笑)

 

 

確か一発目は、北辰会関東支部の設立15周年記念特別講演かなんかだったんですよね。

 

 

以来毎年、藤本蓮風先生をお招きして、普段の定例勉強会とは違う、特別なテーマでの講演会をやってきました。

 

 

去年から、(一社)北辰会の代表が藤本新風先生に代わりまして、今後は新風先生をお招きして行う形になることと思います。

 

 

私はこの講演会に関しては、企画発案者であることもあって、全回で前座を務めてきました。

 

 

今年もやらせていただきます。(゚∀゚)

 

 

今年のテーマは何と、1日通して「打鍼縛り」です!!

 

 

東洋医学は現在、中国が国家主導で推し進めているTCM(現代中医学)をベースに世界中で教育され、広まりつつありますが、日本には、日本独特とってもいい、

 

優れた東洋医学の技術や考え方がいくつかあります。

 

カテゴリ 中医学 参照

 

 

そのうちの一つが「腹診術・打鍼術」でしょう。

 

「夢分流」を含む記事

「打鍼」を含む記事 参照

 

 

今回は午前中に尾崎真哉支部長から「腹診・打鍼の歴史」

 

 

午後一は私から「腹診・打鍼の重要点」

 

 

最後は藤本新風先生による「腹診・打鍼の実技披露」と、日本独自の「腹診・打鍼」を知る上では、この上ない内容になっております。

 

 

そして終了後は忘年会です☆

 

(今年もスペシャルゲストが来ますよ~~!!)

 

 

これ読んだ人は、全員来ましょう。(ΦωΦ)

 

 

ポスターはこちら!!

 

 

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全員ロン毛の講師陣で、お待ちしております☆(*‘∀‘)

 

 

 

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11.24(土)~25(日) 日本伝統鍼灸学会 大阪大会に行ってきます!!

2018.10.18

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患者さんには大変ご迷惑おかけしますが、来月、11月24~25日の土日と二日間、大阪の茨木市で行われる日本伝統鍼灸学会学術大会に参加してきます!!

 

大会HP 参照

 

(因みに今回、清明院元副院長の松木宣嘉先生が副実行委員長だったりします。あいつは副が得意だ。)

 

 

・・・かつては、

 

「へっ 学会なんてめんどくせー あんなもん目立ちたがり屋のエライさんの集まりだろ?(*´Д`) それより臨床なんだよ俺はよー!!( ゚Д゚)」

 

とか思って、全然出ていなかったし、見向きもしなかった「学会」ですが、ここ数年、おとなしく毎年参加しております。(爆)

 

 

しかも今では、上記の僕のような雰囲気の、クソ態度の悪い鍼灸学生にも、笑顔で

 

「学会には出ましょうね、勉強になりますからね~~(^^)/」

 

なんて、勧めてすらいます。(爆)

 

 

・・・なぜ、このような変化が起こったのか。

 

 

数年前から、何度か学会で発表して気付いたのは、学会というところは、

 

”ヤル気のある人”、”意識の高い人”

 

の集まりだからです。

 

 

話していて気分がいい。

 

 

このブログに何度も書いているように、鍼灸治療の受療率は国民のたった5%。

 

 

しかもそのほとんどは、慰安的なマッサージの延長としての、気休め的な鍼ではないでしょうか。

 

 

この僕ですら、伝統的な東洋医学理論に基づいた鍼への、あまりの無理解に、テンションが下がる時もあります。

 

(年取ったんかな。。。)

 

 

でも学会に行くと、全国各地で奮闘している先生方にお会いして、

 

「あー、俺ももっと頑張らないと。」

 

と、いい刺激をもらえます。

 

 

自分の勉強不足に気づく。

 

 

自分とは違う視点の存在に気づく。

 

 

・・・で、結果的に明日からの臨床の糧になる。

 

 

まあ、こういう刺激を本気で欲するようになるまでには、けっこう色々な段階を経る必要があるのかもね。。。(苦笑)

 

 

今年は、あの李時珍が残した伝説の脈診法である気口九道脈診や、北辰会の代名詞的になっている打鍼術など、興味深い内容が目白押し!!

 

「李時珍(りじちん)」という人物

『素問』脉要精微論(17)における「脈の内外上下」 6

「打鍼」復興の歴史

刺さない打鍼か、刺す打鍼か。(゚∀゚)      参照

 

 

そして今回も、(一社)北辰会の先生方がたくさん出ます!!

 

北辰会ブログ 参照

 

 

私も、今回は日曜日に初の座長として参加します!!

 

 

気合い入れていきますよ~~☆(ΦωΦ)

 

 

 

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大伯父の人生 6

2018.10.17

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これまでのお話

 

大伯父の人生 1   

大伯父の人生 2

大伯父の人生 3

大伯父の人生 4 

大伯父の人生 5          参照

 

 

 

・・・ここまで書いてきたように、お盆に何気なく墓参に行ったことがきっかけとなり、大伯父の人生について知るいい機会を得た。

 

 

これも墓マイラーの副産物だ。

 

 墓マイラー 目次          参照

 

 

大東亜戦争を知り、その伏線とも言える明治維新がどういうものであったかを知る、ということは、現代日本で東洋医学を行っている者としては、

 

必要なことではないだろうか。

 

(もちろん後ろばっかり見ててはダメで、常に未来志向でないといけないのは言うまでもないですが)

 

 

また今回は、今から70年以上前の、大東亜戦争でのフィリピン戦の成り行き、悲劇についても、詳しく知るいい機会になった。

 

 

今日の日本でも、フィリピンからの留学生や、出稼ぎ労働者なんかを、街で見かけることがあるが、彼ら彼女らのお爺さんお婆さんは、もしかすると戦時中は抗日ゲリラだったかもしれない。

 

 

ホントに、両国の黒歴史だと思う。

 

 

フィリピンの歴史を見ると、古くは500年前、スペインに植民地化され(そもそもフィリピンという国の名前がスペインの皇太子フェリペの名前に由来している)、

 

その後、1898年、米西戦争の結果として、今度はアメリカに植民地化され、さらにその後、1941年には、大東亜戦争の結果として日本に統治され、

 

戦後は独立しているものの、現代でも様々な問題を抱え、国内事情は真の意味で平和で安定、繁栄しているとは思えないというのは周知の通りだ。

 

(しかしドゥテルテ大統領、いかついね☆)

 

 

フィリピン人の対日感情は、前回書いたような複雑ないきさつがあるため、親日国として知られる、他の数々のアジア諸国とは、少し毛色が違うようだ。

 

(某国よりは全然マシだけど 苦笑)

 

 

因みに、僕はこのブログ上でも普通に度々、TVなどでよく言われる太平洋戦争、第二次世界大戦のことを

 

「大東亜戦争」

 

と書いているが、これをもって

 

「竹下は右翼だ」

 

とか考えるアホがいたらいけないので、念のため付言しておくが、単に当時の日本なりの大義名分、立場を考えた時、この名称の方が正当で分かりやすいと思うから普通にこう書いている。

 

(”太平洋戦争”という呼称は実際、戦後にGHQに強制された言い方です。)

 

 

身内を殺傷された側としては、アメリカ側の価値観、呼称である「太平洋戦争」と呼ぶ気にはイマイチならない、という、感情論的な部分もないではない。

 

(・・・ま、内容に対する理解が重要なんであって、どっちでもいいっちゃいいんだけど (^^;))

 

 

まあー、今回色々分かったんで、そのうち時間でも作って、フィリピンのソラノにでも慰霊の旅に行って、ソラノの土でも持って帰ってきて、

 

鈴木家の墓の下にでも、入れてやるか。

 

 

どういう訳だか、戦後73年間、乾二さんの骨はフィリピンにまだある筈なのに、鈴木家は誰もフィリピンに慰霊には行っていないようだ。

 

(辛過ぎて行く気にならなかったか。。。あるいはそのためにそこまで時間とお金をかける気にならなかったか。)

 

 

まあ、僕の誕生日と大伯父の死んだ日が奇しくも近いし、今回こういう機会を得たのもなんかの縁だと思うし、俺が行ってやろうかな。

 

 

・・・で、前橋の墓の墓誌に、乾二さんの名前も刻んであげよう。

 

 

その時はいつかまたこのブログで報告できたら、と思います。

 

 

ご先祖さんを大切に。

 

 

合掌

 

 

とりあえずその日まで、このシリーズ終わり。

 

 

 

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大伯父の人生 5

2018.10.16

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これまでのお話

 

大伯父の人生 1   

大伯父の人生 2

大伯父の人生 3

大伯父の人生 4       参照

 

 

フィリピンの戦い(主にレイテ島、ルソン島)の日本軍の犠牲者は、約50万人と言われているらしい。

 

 

大東亜戦争では軍人、民間人合わせて300万人以上の日本人が亡くなっているので、その約6分の1はフィリピン戦で命を落としていることになる。

 

 

フィリピンで戦った日本軍は、ほぼ全滅に近い。

 

 

その犠牲の一人が私の大伯父、というワケだ。

 

 

これは、冷静にフィリピン戦の前までの流れ(南方での負けっぷり)から考えれば、当然の結果、と見ることも出来る。

 

 

援軍も補給も弾薬もない中で、マニラ陥落後、半年ものゲリラ戦。。。

 

 

下された命令は、有名な「永久抗戦」

 

 

アメリカの本土上陸を1秒でも遅らせろ、そのための捨て石になれ、という、大本営からの無理難題のお達し。

 

(これを大真面目に守ろうとしたわけだから、教育というのは恐ろしい。)

 

 

まあ、大東亜戦争自体がそうだけど、何であんな、そもそも勝ち目ゼロの戦争なんてやったのか。

 

 

白人の横暴に、アジアを代表して刃向かった?

 

 

自国の権益の更なる拡大のため?

 

 

大東亜共栄圏という理想郷の実現??

 

 

日清、日露、第一次と勝ち進んで、調子に乗った??

 

 

まあいずれにせよ、要は強い奴に、勝ち目のないケンカを挑んで、普通にボコられた、ってトコですかね。

 

(まあ、そう仕向けた強い奴の手に乗っちゃった、って感じですかね。)

 

 

腹立つけど仕方ない。

 

 

現実として受け入れざるを得ない。

 

 

まあ後世の我々は、何事も、精神論根性論や、運任せだけでは勝てない、ということと、勝てないと分かっていながらも、ケンカを挑まなきゃならない、

 

というような状況を絶対に作らない、ということを、キチッと学び、日々意識するべきだと思います。

 

(鍼灸臨床も一緒ですね。)

 

 

まあそれでも同じことを繰り返してきたのが、人間の歴史なんでしょうけども。。。orz

 

 

フィリピン戦の全体像については、この動画が分かりやすかった。↓↓

 

 

 

 

また、この証言集も、貴重なものばかりで、非常にリアル。↓↓

 

(NHKが作ったものだからヤダ、という人もいるかもしれないが、実際の当事者の声であることには変わりない。)

 

 

戦争証言アーカイブス

 

 

映画では、ルソン島の戦いをモデルにした日本映画は恐らくなく(あったら誰か教えて下さい)、レイテ島の戦いを題材にした『野火(のび)』という有名な映画がありまして、

 

これは実際にレイテ島の戦いを生き抜いた作者、大岡昇平さんの小説をもとにしており、1959年版と2015年版があります。

 

 

僕は2015年版を見ましたが、まあー、ほとんどホラー映画です。。。

 

 

『野火』で描かれているのは、レイテ島の主な戦闘で日本が敗北して、敗走後の散り散りになった兵士たちのジャングルでの話ですので、ルソン島の戦いで言えば、

 

3月に大伯父が亡くなった後の、北部での半年くらいの状況に近いでしょう。

 

(てか、そうであってほしい。。。)

 

 

 

 

 

 

 

 

宇多丸さんは絶賛です。

 

(因みに上記に紹介した動画と映画は、どれもショッキングな内容なので、心臓弱い人はやめといた方がいいです。)

 

 

・・・まあ、実際に2世代前の日本人が経験した、こういう動画や映画や証言なんかを、空調の効いた部屋で、清潔な飲み物でも飲みながら見れるという現実に、

 

僕ら現代の日本人は心から感謝できるかどうか、じゃないすかね。

 

 

私の祖父は海軍出身なんですが、いつか

 

「そもそも戦争なんてバカバカしいんだけど、レイテまでは仕方ない面はあった。でもそれ以降は、降伏の段取りが遅すぎた。だから結果的に無駄な犠牲を増やし過ぎた。」

 

というようなことを言っていたことがありました。

 

 

まあレイテまでは、連合艦隊がギリギリ機能していたので、これは海軍軍人らしい見方なのかもしれませんが、まあ当時の国家体制では、あの時点での降伏は無理だったんでしょうね。

 

 

あの当時に、中枢部がパッとそういう判断が出来るような状況だったのであれば、そもそも開戦なんてしてないようにも思えます。

 

 

・・・戦争から学ぶことは多く、非常に大事だと思っています。

 

 

日々の鍼灸臨床も、学校講義も、清明院という組織のマネージメントも、同じところがあるからです。

 

 

自信のない症例に

 

「そもそも触らない」

 

という選択、多角的に見て、イケるかと思って触ったけど、やはり無理だったという場合に、

 

「ではどうやって幕引きするか」

 

という選択など、その場その場での的確な判断力、集中力が要求されます。

 

 

これを間違えば、旧日本軍のように、多くの犠牲を伴って「大敗」します。(苦笑)

 

 

 

続く

 

 

 

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大伯父の人生 4

2018.10.15

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これまでのお話

 

大伯父の人生 1 

大伯父の人生 2      参照

 

 

軍歴を入手してから、大伯父がフィリピンに着いてから亡くなるまで約半年の、さらに少し詳しい足取りが知りたいと考え、ネットや書籍で色々調べていると、

 

同じ部隊で、大伯父と同じ日に、満州からフィリピンに移動した人の証言が見つかった。

 

秋田県 照井浅之助さんの証言(PDF)

 

 

また、清明院のエライ近所の住友ビルの中には、こんな施設があることも分かった。

 

平和祈念展示資料館

 

(まだ行ってないのですが、今度ゆっくりと行ってみたいと思います。)

 

 

この方(照井さん)の証言を読むと、フィリピン戦の地獄っぷりがよく分かるとともに、恐らく大伯父と顔見知りだったのではないかと思わされる。

 

 

満州からフィリピンまで、恐らく同じ船か同じ船団で動いており、同じ部隊で二年過ごしている訳だから、あるいは仲良かったかもしれない。

 

 

もっと早くに、この方の存在を知っていれば、会ってお話を聞くこともできたかもしれないと思うと、遅くに調べることになったことを少し後悔した。

 

(さすがにもう他界されているか、ご存命であっても記憶が定かでないだろう。)

 

 

まあ今はネットの時代、こうやってネット上に書いておけば、いつかご遺族の方から何か聞けるかもしれない。

 

 

今回ここに書いたのは、そういう狙いもある。

 

 

このPDF資料の22ページに書いてある、

 

「・・・以後、満州出発以来、苦楽を共にし、他隊へ行った戦友たちと、再び会うことはなかった。・・・」

 

の、”他隊へ行った戦友たち”の一人は、大伯父であろう。

 

 

・・・また、同じ部隊の生き残りの人を訪ねたりして、祖母や曾祖母は調べなかったのかなと、気になったりもした。

 

(まあ戦後はそんな余裕もなかったか、あるいは忘れたいくらい辛い思い出になっていたのか。。。)

 

 

大伯父は、祖母にとってはとても優しいお兄ちゃんであり、曾祖母にとっては、ボイラーの製造工場を家業としていた鈴木家の跡取りとして、

 

むしろ長男よりも出来が良かった乾二さんに期待していたようで、その喪失感はハンパじゃなかったろうと思う。

 

 

戦地で亡くなったと聞かされ、帰ってきたのは骨壺だけ。

 

 

骨壺の中には、名前だけが書かれた札のみが入っていたそうで、祖母はそれを見たときには

 

「なんだこれ。。」

 

と思ったそうです。

 

 

曾祖母も、祖父方の曾祖母に対して、

 

「お宅は全員無事で、ホントに良かったですねえ。。」

 

と、よく言っていたそうだ。

 

 

これが戦死した末端の一兵卒の、残された一家の悲惨さだ。

 

 

一生、このことを暗く考えさせられることになる。

 

 

これは勝った側のアメリカだって、同じことだろう。

 

 

・・・戦争はやっちゃダメですね。

 

 

 

続く

 

 

 

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大伯父の人生 3

2018.10.14

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これまでのお話

 

大伯父の人生 1    

大伯父の人生 2        参照

 

 

 

靖国神社での調査結果をもらった時、巫女さんに

 

「もうチョイ詳しい情報って調べられないんですか?」

 

と聞いたら、

 

「各都道府県に”軍歴”を管理している部署があるので、そこに問い合わせたら”軍歴”を取り寄せることが出来ますよ。」

 

とのこと。

 

 

・・・ほうほう。

 

 

で、さっそく群馬県庁に電話し、僕の免許証やら本籍確認やらなんやらを郵便でやり取りし、約2週間くらいで届きました!!

 

 

20180901_190948.JPG

 

 

はいドーン!

 

 

これが軍歴なるものらしいです。

 

 

まあ要するに、大伯父が亡くなるまでの二年間、召集されてから亡くなるまでの間、軍人として勤務した勤務履歴ですね。

 

 

旧日本軍に所属していた人の親戚は、これを取り寄せることが出来るようです。

 

 

親類が戦没者でも、生還者でも、先祖の生き様の一部を知る、いい手がかりになると思いますので、興味のある人は取り寄せてみたらいいと思います。

 

 

これを見ると、昭和18年(1943年)、20歳の時に軍に召集され、最初は山口県の下関港から朝鮮半島の釜山(プサン)に渡り、北上して旧満州の防衛にあたっており、

 

その後、翌年、1944年の6月に、南方戦線の悪化を受けて、福岡県の門司港~台湾を経て、1944年の7月にはフィリピンのルソン島に渡って、

 

首都マニラの防衛をやっていた、とのことが分かります。

 

 

昭和18年(1943年)は前橋もまだ空襲されていませんから、あの平和な地方都市である前橋から、最初に鉄道で下関まで送られて、そこから船に乗った時の心境、

 

また、前橋でそれを見送った祖母や曾祖母の心境はどんなだったかと思うと、実にいたたまれませんね。。。

 

 

フィリピンでは、マニラの防衛にあたっていたということは、1945年の3月にマニラが陥落した時に、敗走した兵隊の中の一人であったか、あるいは事前に、

 

当時の山下奉文陸軍大将が撤退させた部隊の兵士の中の一人であったか、ということになります。

 

 

で、1945.3.5には、北部のソラノまで逃げていたけど、敵の追い討ちに遭った、というわけですね。

 

 

抗日ゲリラにやられたのか、米軍にやられたのか、詳しい死亡時の状況に関しては、今となっては知る由もないです。。。

 

 

なるほど、実に可哀想な最後だ。

 

 

22歳にして。

 

 

でもこの軍歴だと、1944年にルソン島に着いてから亡くなるまでの詳しい足取りが分かりません。

 

 

・・・で、さらに調べていると、なんとありました、大伯父と同じ部隊の生還者が残した記録が!!

 

 

続く

 

 

 

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大伯父の人生 2

2018.10.12

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前回のお話

 

大伯父の人生 1       参照

 

 

大伯父の足跡を知るため、今年のお盆の後に群馬から東京に戻って、まずは靖国神社に行ってみました。

 

 

旧日本軍の方で、大伯父を戦死者として把握しているのであれば、靖国神社に祀られている筈。

 

 

・・・で、行って調べたら、ちゃんとありました!!

 

 

 

20180820_234508.JPG

 

 

 

下の名前の文字がハッキリしなくて、ちょっと手間取ったのですが、巫女さんが調べてくれました!!

 

 

この字を使って「乾二(かんじ)」とは、なかなか珍しいですね。

 

”幹”の字を使って”幹二”だと聞いていたので、巫女さんを手こずらせました。。。)

 

 

僕としてはこの字を見ると、『易経』”乾坤(けんこん)”からとったのかな、とか、あるいは”いぬい”と読むことから干支の”戌亥(北西の意)”とかけてあるのか、

 

とか思ってしまいますが、本当のところどうなのか、今となっては知る由もないです。。。

 

(もしかしたら、PCもネットもない、戦時中のドサクサ当時ですから、役所の職員さんの書き間違いの可能性だってあります。(苦笑))

 

 

戦没者遺族は、靖国神社に行くと、こういうもの(調査結果)がもらえます。

 

 

これを見ると、ほうほう、階級は陸軍伍長、まあ、下士官の中では一番下、一兵卒よりは高い階級、ってやつなんですね。

 

日本軍階級表 参照

 

 

ただ、戦死すると階級が上がることがあるようで、大伯父の場合は軍歴を見ると、戦死したことで「上等兵」から「兵長→伍長」と、二階級上がったようです。

 

(まあ、せめてもの供養みたいなもんか。。。)

 

 

所属部隊は野戦照空第二大隊、とあり、これはどういう部隊かと言うと、「照空」ですから、敵の戦闘機が来た時に、空をサーチライトのようなもので照らして、

 

撃ち落とす役割の高射砲部隊などを助ける、という役割の部隊なんだそうです。

 

(うーん、空が曇ってたりすれば見えないだろうし、当時のサーチライトなんて、大したものでもないだろうし、どの程度役に立つものだったのか、ちょっと想像がつきませんが。。。)

 

 

とりあえず、靖国神社での調査で、亡くなった場所と日時がハッキリ分かってよかったです。

 

 

ルソン島の中でも、大伯父が亡くなったソラノ(ソラーノ)は、市街地とは言っても、マニラの真北の山岳地帯の小さい集落で、ド田舎のようです。

 

 

1941年から1942年、大東亜戦争開戦初期に、日本はフィリピンに進軍し、当時フィリピンを植民地にしていたアメリカ軍、マッカーサーをフィリピンから追い出しましたが、

 

大戦末期のフィリピン戦では、1944年の10月の、有名なレイテ沖海戦に始まり、陸海での激戦を経て、甚大な被害を出しながら、12月にはレイテ島が陥落しました。

 

 

その後、1945年の1月にはルソン島に上陸され、激しい地上戦、市街戦の末、3月3日には首都マニラも陥落しました。

 

 

・・・まあ、開戦当時に敗走したマッカーサーの有名な

 

「I shall return.」

 

の言葉通り、日本の占領はわずか二年で、見事にリベンジされてしまったワケですね。

 

 

大伯父が亡くなったのは、このマニラ陥落のわずか二日後、ということになります。

 

 

今回、フィリピン戦に関して、初めて詳しく調べましたが、この後の、1945年の3.26から始まる沖縄戦が地獄であることは知っていましたが、

 

フィリピン戦もかなりの地獄でした。。。

 

墓マイラー 46 番外編 沖縄慰霊編   参照

 

 

3.3にマニラが占領された後の日本軍は、終戦後の9月まで、ルソン島北部の山岳地帯やジャングルに逃げながら、ゲリラ戦を戦っていたようですが、

 

このゲリラ戦は本当にタフな、地獄の闘いだったようです。

 

 

3月の段階で戦死した大伯父は、その地獄を味わわなくて済んだ、という意味では、まだ良かった方なのかもしれません。。。

 

 

 

続く

 

 

 

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大伯父の人生 1

2018.10.11

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墓参になんて、まったく興味のなかった私だが、数年前から、すっかり墓マイラーである。(苦笑)

 

墓マイラー 目次          参照

 

 

今回、鍼灸の学術や臨床とは一見関係ないようだけど、私の大伯父の人生について分かる範囲でここに書いておく。

 

 

今年のお盆に群馬に帰省した時、いつも母や叔母とともに、祖父方、祖母方の先祖の墓参に行くのだが、今年は何気に、戦争で亡くなった大伯父の話題になった。

 

 

大伯父とは、私の母方の祖母の兄にあたる人である。

 

 

私の親類の中で唯一の、大東亜戦争での「戦死者」だ。

 

 

恥ずかしながら、今までは

 

「戦時中に、南方のどこかで死んだ」

 

くらいしか知らなかった。

 

 

当事者が、戦争の記憶をどう伝えるかについては、各家庭によって全然違うようで、うちの場合は、まったくと言っていいほど戦争の話題は出なかった。

 

 

まあ、戦争はどう見ても大人同士のアホクサイ殺し合いなわけですから、説明しにくい、というのがあったのかもしれない。

 

 

今回、色々調べて分かったのだが、大伯父は終戦の年、1945年の3月5日に、フィリピンのルソン島にて、22歳で戦死しているという。

 

(亡くなった日は、なんと僕の誕生日と1日違い。。。知った時はじゃっかん鳥肌立ちました。)

 

 

今年、祖母の方の実家の墓を参った時、墓誌にその大伯父の名前が刻まれていないことが話題になった。

 

 

大伯父は次男であり、少し年上の長男がいるのだが、長男の名前と、曾祖父、曾祖母の名前は刻んである。

 

 

しかし、大伯父の名前だけがない、これはどうしたことかと、母や叔母と色々話をした。

 

 

一つには、戦後だいぶ経ってから建てられたお墓なので、戦中に亡くなった大伯父の名前は、あえて刻まなかったのでは?という意見。

 

 

もう一つには、戦争で亡くなったから、靖国神社に軍神として祀られているので、墓には魂が入っていないのでは?とか、

 

あるいは、どこかにもう一つお墓があるのでは?とかいう意見が出たが、それは誰も知らず、どうもはっきりしない。

 

 

そこで、いい機会だったので、大伯父の人生に関して、分かる範囲で調べてみることにした。

 

 

22歳の若さで戦死した大伯父。

 

 

優秀な人だったという。

 

 

 

続く

 

 

 

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何気に9周年!!

2018.10.10

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2018.10.10、本日、清明院は何気に9周年を迎えました。

 

 

これもひとえに、患者さん、スタッフ、先輩、後輩、皆々様のおかげであります。

 

 

本当にありがとうございます。<m(__)m>

 

 

この9年間、あっという間でしたが、色々とありました。

 

 

東日本大震災が来た時。

 

(開業して1年半経って、せっかく軌道に乗ったのに、振出しに戻った。。。)

 

 

スタッフが足らなくなった時。

 

(今も足らない。。。)

 

 

移転した時。

 

(お金がまったく無くなった。。。)

 

 

役所にイジメられた時。

 

(苦笑・・・イヤだった。。。)

 

 

このように、数々の困難を経つつも、清明院、開業以来、どうにかこうにか、外来、往診ともに、上り調子であります。

 

 

もっともっと多くの患者さんに、一人でも多くの患者さんに、東洋医学、伝統鍼灸の素晴らしさを知ってもらいたい。

 

 

今後も清明院は、まったくブレずに「それのみ」でいきます。

 

(てか、俺、それしかできない。。。)

 

 

今後も皆さま、何卒宜しくお願い致します。<m(__)m>

 

 

 

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『模倣の時代 上下巻』

2018.10.08

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最近、面白い本を読んだんで、紹介します。

 

 

『模倣の時代 上下巻』板倉聖宣著 

 

(文字クリックでAmazonのページへ)

 

 

幕末から明治、今ではなんてことない病気である脚気(かっけ)が非常に恐ろしい病気であったことを知っていますでしょうか。

 

 

そして、この病気の治療をかけて、東洋医学と西洋医学の名医たちが真剣に勝負した時代があったことを知っていますでしょうか。

 

 

このことは、以前少し書きました。

 

東西医学による脚気(かっけ)バトル   参照

 

 

また、脚気を考える上で知っておいた方がいい知識として、麦飯のお話があります。

 

「麦飯」ってどうでしょう?? 9   参照

 

 

僕が畏敬している、浅田宗伯先生も出てきます。

 

浅田宗伯という人物    参照

 

 

このブログで何度となく書いていますが、この時代、東洋医学が、真剣に頑張ったけど、それでも潰されていく様子が、よく分かる内容になっています。

 

 

東洋医学に関わる人には、患者さんも含めて、全員に読んで欲しい内容です。

 

(分厚い割には文字数もそこまで多くなく、読みやすい本だと思います。)

 

 

 

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