東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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りきみ

2013.06.15

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老子がいう。

(さらに…)

「三焦」って何ですか?(その12)

2012.02.24

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これまでのお話・・・

「心包」って何ですか?(その6)
「三焦」って何ですか?
「三焦」って何ですか?(その2)
「三焦」って何ですか?(その3)
「三焦」って何ですか?(その4)
「三焦」って何ですか?(その5)
「三焦」って何ですか?(その6)
「三焦」って何ですか?(その7)
「三焦」って何ですか?(その8)
「三焦」って何ですか?(その9)
「三焦」って何ですか?(その10)
「三焦」って何ですか?(その11)

 

さあ、「三焦の腑」シリーズ、これで一旦ラストです。

 

◆「三焦」は孤児(みなしご)!?

 


前回の最後で、チラッと述べましたが、この「三焦の腑」というのは、臓腑の中でも特別で、ある意味”全身そのもの”ですから、すべての臓腑と関わりをもちます。

 

そして、その中でも特に関わりの深い臓腑がいくつかあるよ、というお話をしました。

 


また、
「三焦」って何ですか?(その3)で述べたように、「三焦の腑」”気”と”水”の通り道でもあります。

 


特に、”水の通り道”という意味では、「肺の臓」、「腎の臓」、「膀胱の腑」と大きく関わります。

 

この中でも「三焦の腑」だけはやっぱりちょっと特殊で、「孤児(みなしご)である」という記載が、『黄帝内経(こうていだいけい)』という本の中に出てきます。

(『霊枢』本輸(2)です。)

 

・・・で、この、妙に気になる「孤(みなしご)」という表現。

 

コレ実は、道家思想の中心である『老子』の中にも出てきます。

「道家思想(どうかしそう)」って何ですか? 参照

 


そこには、

「故に、貴は賤を以って本と為し、高は下を以って本と為す。是を以って、侯王は自ら、、寡、不穀、と謂う。」(老子39章)

「人の悪む所は唯、・寡・不穀。而して王公は、以って称と為す。」(老子42章)

・・・と、何やら難しい文章が出てくるんですが、コレは要は、

「一見大事でない、人々が嫌うようなモノ、コトこそが、実は一番大事なんだよ。」

という考え方です。

 

ですから、先ほどあげた黄帝内経霊枢』の中の、「三焦は孤(みなしご)」という記載には、

「三焦という孤(みなしご)は、一見端っこにあって、はぐれ者、嫌われ者みたいだけど、実はこれこそが大事なんだよ。」

という意味があるのだと思います。

 


「三焦の腑」に対する、逆説的強調、ととれるワケです。

 

しかし一方で、儒教の経典として有名な『論語』の里仁(りじん)篇の中には、

「徳は孤ならず、必ず隣あり。」

と、出てきます。

 

ここでは、徳のあること(をやる人)というのは孤独にはならず、必ず隣にフォローがつくよ、ということが説かれております。

 

だからこれを逆にとれば、「てことは”孤”には徳がないってことか?」となりますよネ。(笑)

 

そして、「てことは儒家的に言えば三焦には徳がないってことか?大事じゃないんじゃないか??」とならなくもない。(笑)

 

こういう、「道家」と「儒家」の考え方、とらえ方の違いは面白いんですが、東洋医学は、どちらかというと道家思想の影響の方を多分に受けているように思います。

 


 

・・・まあ、長々と書いてきましたが、「三焦の腑」というモノの役割というのは、東洋医学の人体観の中では非常に意味が大きいです。

 


東洋医学では、「気」が凝集して「形」を成し、出来ているとされる”人体”というものを、「陰陽」や「五行」というモノサシを使って、

「五臓六腑」だとか「経絡」だとかに分けて、その働きを説明します。

 


しかし、それはあたかも「多角形」の角の数をいくら増やしても、結局は「円」や「曲線」と同一にならないのと同じようなもので、

最後は「一」に戻す”設定”が必要なのです。

 


東洋医学においては、臓腑学説においてそれを担う、特別な、”孤(みなしご)的な”存在が「三焦」なのだ、という訳です。

 

僕はかつて、これを蓮風先生から教わった時、なんか非常に東洋医学というものに納得がいったのを覚えています。

 

西洋医学のように、細胞レベル、DNAレベル、分子、原子、電子レベルと、「分ける設定」を使えば、分けるのは無限に分けられるんだけど、

それを「一」に戻せないようだと、けっきょくうまくいかないんです。

 

 

有名な分子生物学者の福岡伸一先生が仰るように、「世界は分けてもわからない」わけですね。(笑)

現実的運用の段に、不具合が生じるんです。

 

細かく分けていく過程で、もともとの「一」という全体像を見失うことになるからだと思います。

 

古代の中国の医者は、絶え間ない思考実験と実臨床との間で、そのことをよく分かっていたんだと思います。

 


「三焦」シリーズ、ひとまず終わり。

 

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「三焦」って何ですか?(その7)

2011.07.17

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これまでのお話・・・

「心包」って何ですか?(その6)
「三焦」って何ですか?
「三焦」って何ですか?(その2)
「三焦」って何ですか?(その3)
「三焦」って何ですか?(その4)
「三焦」って何ですか?(その5)
「三焦」って何ですか?(その6)

・・・ギュンギュンいきます!!!

 

☆「三焦」という文字の意味(続編)


「三焦」をなぜそう名付けたのかは、ホントのホントは、名付けた人に聞いてみないと分かりませんが、タイムスリップは出来ませんので(笑)、

推測で考えるしかない訳ですが、「三」については、そのまんまながら、「上焦・中焦・下焦の”三”」という意味でしょう。

 


これは、「上・中・下」という”空間を網羅する”、という意味のみにとどまらず、「天・地・人」という大宇宙を、人身という小宇宙になぞらえて考えた、

実は非常にスケールの大きい考え方が背景にあるのだろうと思います。

 

・・・ちなみに『老子(ろうし)』の中に、

「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずる」

という、超有名な一節がありますが、神話的な考え方の中では、天、地、人の”三つ”があって初めて万物が生じる条件がそろうのだ、という考え方があり、

 

これは「三」こそが宇宙創造、万物の大本だという考え方であり、「三」の重要性、神秘性の淵源の一つなのです。

・・・で、「焦」に関してなんですが、これは、「生きている」ということは結局は、生命の炎によって「人間」という”カタチ”が美しく燃えていること、

輝いていること、煌いていること、という考え方があったのではないかと思います。

 

父母の精(つまり水)から生じた生命は、はじめ若々しく輝きながら成長しますが、徐々にやつれ、縮み、しぼみ、最終的には燃え尽きる、という、

 

絶対的な自然の摂理を「焦」という文字で表現したのだろうと思います。

 


・・・ちなみに、とある密教の経典では、生から死へのプロセスを考える場合に、この「焦」というプロセスを非常に重要視しているものもあるそうです。

 


ただ、焦げて、最後には燃え尽きるからって、生命とは最終的には儚く、ネガティブなものである、と捉えるのではなしに、

 

その「焦げていく」時間をどのように楽しんで生きるか、そう考えればよいのだと思います。(笑)

 


そのための超重要ファクターの一つが、「心身の調和がとれて、健康でいること」なのだと思います。

 


「父母のお水」から始まって、徐々に母の子宮内でカタチをなし、生まれた後は成長してカタチが極まると、今度は徐々に焦げて、最後は燃え尽き、天地に帰る”生命”というものを、

「もともとそういうものである。」

と、まず肯定した上で、

「ではその、肉体を持った有限の時間の中でどのように生きたらよいか。」

ということを、「心身一如」「天人合一」という哲学に基づいて、主に身体面から説いたものが、東洋医学なんだと思います。



・・・まあ、上中下と「三分割」することによって、生命に理論的な細かさを与えながらも、空間的に、最後はひとくくりにする、また、時間的には生命の「終わり方」と「始まり方」をも、

 

同時に表現する意味で、「焦」の字を使って「三焦」と言ったのではないだろうかと思います。

 

「終わり」「始まり」・・・。

 


「下」は「上」で「上」は「下」・・・。

 


そして、「中」の重要性・・・。

 


「如環之無端」ですね。

「如環之無端」という言葉 参照

 


「三焦」というネーミングには、こういった深い意味があるのではなかろうかと、今のところ個人的には思っております。

 


もちろん僕自身、もっと勉強が進めば、この理解が変わってくる可能性もありつつ、です。

 

続く

 

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小手先の医療

2010.11.02

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ふと思う。

・・・そもそもなんで、「分ける」のか。

東洋医学では、この全宇宙、当然人間も、「気」で出来ている、という自然哲学を肯定しながら、それを「陰陽」→「五行」と分け、

「五臓六腑」というものを想定し、「十二経絡」というものを想定する。

その12の経絡のそれぞれをさらに4つに分類して考える。

つまり48パターンの経絡の分類をした上、さらに細かい分類をも示唆している。

そして、それだけにとどまらず、8つの「奇経八脈(きけいはちみゃく)」というものをも想定し、

さらにそのそれぞれに、総数においては360以上もの「経穴(けいけつ)」というものの所属と性質を想定する。

西洋医学でも、現代自然科学に「一応」基づき、人体を60兆の細胞からなる、人類の進化の結晶と考え、内臓、筋肉、骨、神経などの、

 

形態や機能の似通った「組織」「系」に分割して理解する。

そして、それらの”形体的異常らしきもの”「病気」とし、その”異常らしきもの””正常らしきもの”に変化させることを以て「治療」と呼ぶ。

両者とも、その認識の上で、実際に病める人間に立ち向かい、それなりの成果をおさめている。

まあともかく、根本哲学は違えども「分ける」ということに関しては共通している訳だ。

・・・ところで何故分けるのか。

 

分けないと分からないからだ。(笑)

 

じゃあなんで分かりたいのか。

 

単なる知的好奇心??

それもあるだろうが、やはり一つには、病める人を治したいんだ、という、医療を志す者の「希求」に応えるためではないか、と思う。

医療を志す者が「患者を治したい」と思う、ということは、とても自然なことだと思う。

(考え方によっては、これが過ぎると傲慢な勘違いを生むのかもしれないが。)

その願いに応えるものが「医学」なのだとすれば、必然的に「医学」においては、人体を「分ける」ことによって病を説明しなくてはならない、となる。

そしてそれを学び、実践するものは、それに対して深い理解をしていなくてはならない。

一面、医学において人体を「分ける」ということの意味は、人体という自然現象を「理解する」ことへの医療者側の欲求の充足ではないだろうか。

そして、何の分野でも、そういうことをやってるのは人間だけだ。

それは、老子の言う「無為自然」には反しないのか。

反しない。(と思う。)

じゃあ何で反しないのか。

こうやってこの問題を考えていくと、なかなか、難しい・・・。(苦笑)


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『東洋医学の宇宙』

2010.03.15

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