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これまでのお話し
参照
◆今回の治療と反省
今回、見事に立春とともに起こった、一連の症状でした。
まず時節柄、内傷としての肝胆の異常は頭に置くべきでしょう。
(決めつけてはイカんけどね)
土曜の食事会での緊張からの緩和、東方医学会での緊張からの緩和、この、「緊張からの緩和」の「緩和」の際に症状が重くなるようなものは、
北辰会では、多くは肝気実型の病変と考えます。
今回は、最初の段階で、それにさらに外邪が絡んでいるものと考えた。
日曜の夜の、発熱時の段階での治療が、あまりにもシャープに決まったため、調子に乗って気を抜いたのがミスでした。
いくら軽くても、風邪気味であった場合、完全に治ってからも1週間、最低でも3日は、重々気を付けて過ごすべきでしたね。
その意味で、水曜日の午後、いやむしろ朝、咽喉がおかしい、声が出にくいと感じた時に、即座に病理を分析して手を打つべきでした。
それを放っておいて、講義で喋り、飲み会で喋り・・・、という流れをもって、迂闊にも「嗄声」という病を完成させてしまいました。(苦笑)
こうなると、邪熱の発生源を「肝の鬱熱」と「中焦の湿熱」と考えて、せっせと治療したものの、「排便や排尿、発汗」というイベントを待って、
一定の期間を経過しないと、もはや即座には声は戻りません。。。orz
・・・いやー、いい勉強になりました。
しかし立春(というか時節の問題)、やはり恐るべし。。。
来年は健やかに立春を迎えたいなあ・・・。
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2018.11.09
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今日、膝痛の患者さんの膝が突然青黒くなっていた。
一瞬、
「なんじゃこりゃ!?( ゚Д゚)」
と思って、
「どうしたのコレ?」
と問うと、
「糾励根(きゅうれいこん)貼ったら色が移っちゃいました。。。」
とのこと。(苦笑)
・・・キュウレイコン??
何すかソレ??
臨床20年やってて、正直初めて聞きました。
(恐らくです。過去に聞いたけど忘れてる可能性もあるけど。)
患者さんが言うには、自分で練って作る泥のような湿布だそうだ。
昔の接骨院なんかでは、「泥湿布」といって、柔整の先生方が作っていたのを知っている。
(見たこともあるし、作るの手伝ったこともある。)
なるほどねー、泥湿布ねえ。
そこに、「糾励根」が練り込んであるわけか。
「糾励根」についてはこちらのサイト様が参考になりました。
いやー、まだまだ知らんことがたくさんあるなー。。。
まあ、膝の熱は、貼る前に診た時よりも確実に引いてはいました!!
それが何よりですな。(゚∀゚)
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2018.10.27
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前回のお話し
ローズマリーティー?? 参照
◆そもそもどこに生えてたの??
植物とその効能を考えていく時、まずは
どこに自生していた植物なのか(原産地)
を知ることで、ある程度そのものが持つ性質を把握できることがあります。
ローズマリーというのは、地中海沿岸地方が原産地なんだそうです。
(ふむふむ、ヨーロッパの植物な訳ですな。)
地中海沿岸地域ということは、「地中海性気候」といって、比較的温暖な気候で、冬には一定の降雨があるが、夏は日ざしが強く、乾燥するそうです。
植物としてはローズマリーの他に、夏の乾燥を利用した耐干性の樹木性作物(オリーブやブドウなど)、冬の降雨を利用した冬小麦栽培が行われるほか、
乾燥して牧草の育たない夏に、家畜を高山へ移動する移牧も行われるそうです。
これらを組み合わせた混合農業のことを「地中海式農業」といい、オレンジ、レモン、イチジク(無花果)、コルクガシ、月桂樹(ローレル、ローリエ)などが栽培され、
オリーブ油、ワインなどが多く出荷されているそうです。
(やはり、暖かい気候で、しかも乾湿の偏差が大きい地域であるせいか、東洋医学的には理気活血、清熱解毒モノがよく採れるようですね。)
・・・で、そんな環境にあって、ローズマリーはシソ科に属する常緑性低木で、和名では「マンネンロウ」と呼ばれ、中国では「迷迭香(めいてつこう)」と呼ばれます。
(この日中でのネーミングの由来が気になりますね。あとで触れましょう。)
生葉もしくは乾燥葉を香辛料、薬(ハーブ)として用い、花も可食であり、水蒸気蒸留法で抽出した精油も、薬として利用されるそうです。
ふむふむ、大活躍だね、ローズマリー。
続く
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2018.10.20
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たまに学生さんに問います。
「ねえ、鍼灸ってこの世に必要??」
と。
普段、斜に構えているような学生も、少し動揺した顔をしますな。(笑)
たいがいは無言、でも、少し動揺してから、
「必要・・・だと思います。」
みたいに答える場合があります。
すると僕はすかさず、
「どうして?どうして必要なんですか??」
と問います。
すると、貝が閉じたかのように、たいがい無言になる。(笑)
鍼灸師の皆さん、例えば自分のお子さんや、お身内からこう聞かれたら、どう答えますか??
(真っ直ぐな眼差しで)
・・・これだけ社会インフラとして発達し、ほぼ誰もその信憑性を疑わない西洋医学。
医師と言えば、高収入職業の代名詞ですね。
全国の街中に白い巨塔が建ちまくっており、ほぼ100%の国民が病院で生まれ、病院で死にます。
で、学校や会社には西洋医学の先生が健診に来て、血液検査と画像診断と心電図検査を行い、風邪ひいたら病院で薬もらう、何か病気になったら、病院で薬もらう。
みんな義務として持っている保険証を使って、数百円から数千円という、低廉な料金で、現代最先端科学技術の粋を凝らした西洋薬がたくさんもらえる。
・・・で、その薬をもってしても治らなかったら、入院して手術する、化学療法受ける。
それも全て国民皆保険で、受けれる。
今や年間90兆の国家予算のうち、40兆は医療費。
それも、この数字には救急車の出動費と介護にかかったお金は入ってないらしい。
まあ、そうこうしているうちに年取って、人は死ぬ。
・・・これ、鍼灸が入る隙間、あるんですか??
・・・もしねえなら、別に必要なくね?
俺はねー、これねー、
「大いにある!ありまくる!あってあってしょうがない!全然手が足らない!!だから絶対に必要だ!西洋医学が治せないものを治せる鍼灸師の存在が!!」
と、思ってんですよ。(゚∀゚)
20年くらい前からね。
・・・でもね、もし
「鍼灸には、西洋医学が出来ないことをやってのける力なんてない、鍼灸は一種の刺激療法、物理療法として、西洋医学の理解の及ぶ範疇で運用すべきものだ。」
っていう立場をとるならば、マッサージチェアとか、低周波治療器とか、湿布と大して変わんねんじゃねんすか??
また、病院の湿布で楽にならない人を、1時間以上かけて一生懸命揉んであげて、
「いやー、楽になったよ、ありがとう。」
と言われて5、6千円もらって幸せ、なんて、そこら中の無資格の外人さんがやってないすか??
そんなら、わざわざ500万も払って三年間も学校通って、国家資格なんて取らんでもよくね??
ここんとこ、どう思ってんですかね、皆は。
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2018.09.17
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これまでのお話・・・
一貫堂医学が今日まで大きな影響力を持っている原因の一つとして、昭和漢方界の中心人物であった矢数道明先生と、その兄君である矢数道斎(格)先生が、
創始者・森道伯先生の弟子であったことが挙げられます。
因みにこちらが矢数道斎(格)先生。
↑↑ インパクト満点、一度見たら忘れないお姿ですね。
(矢数芳英先生(道斎先生の弟君である矢数道明先生の御令孫)よりご提供いただきました。)
矢数格先生は明治26年(1893年)茨城県生まれ、はじめ海軍の軍人を志し、中学に入るも、スパルタ式の無茶苦茶な運動をやり過ぎて、3年の時に体を壊し、
マラリアに罹り、生死を彷徨う。
この時、有名病院から専門病院から、どの医者に行っても一向に良くならず、何を食べても、何を飲んでも吐いてしまい、全く飲まず食わずの状態が続いており、
終いには吐血して、余命宣告までされる始末だったようです。
そこで森道伯先生の噂を聴き、藁をもすがる思いで、骸骨のようにやせ衰えた体で上京し、診察を受けると、僅か2週間で、天丼が食えるほどに回復したそうです。
因みにこの時に、
「この薬が胃に入るようであれば治してやる。」
と仰って、森先生が使った方剤は五積散だったそうです。
(そして五積散の出典は『和剤局方』です。)
マラリアというのは東洋医学では「瘧(ぎゃく)」とか「瘧病」とよんで、古くは『黄帝内経素問』の「瘧論(35)」「刺瘧(36)」の中で詳細に認識されていますし、
『金匱要略』の中にも出てきますし、その後の歴代医家も多くの研究を残しています。
現代中医学でもマラリアを様々に分類し、治療法を提示していますが、「五積散」という選択肢は僕が探した限りでは提示がありませんでしたので、
森先生のオリジナル運用法だろうと思います。
よく名医はこうやって、西洋医学的な病名だの、経過だの、症状の軽重だのに振り回されることなく、自分がよく理解している方剤をシンプルに使って、
きれいに治しますね。
五積散は、風寒外感+内傷寒湿の薬で、解表温裏剤と呼ばれるグループです。
因みに、2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した中国人の屠呦呦(ト・ユウユウ)先生の研究は、中国伝統医学で使われている生薬にヒントを得た、マラリアの治療薬「アルテミシニン」の研究でした。
(因みにこの時一緒に受賞したのは寄生虫薬イベルメクチンで有名な日本人の大野智先生です。)
その後、元気になった矢数格先生は田舎に帰り、学を諦めて自然の中で農作業をする暮らしを4年ほどしていましたが、森先生のような漢方医を志そうと一念発起し、
22歳で千葉医専(現千葉大医学部)に入学しました。
当時は、漢方医の道を志すと言うと、学友から
「お前、頭がおかしいんじゃないか?」
と言われたそうです。
(苦笑・・・この時、矢数君を助けようと、署名が集まった、なんていうエピソードもあるそうです。)
まあ今で言えば、突然変な宗教に洗脳されたとか、精神に異常をきたしたとか思われるくらい、東洋医学の評判は地に落ちていたのでしょう。
医学生3年の時、再び無理をして体を壊し、肺炎まで起こし、入院する羽目になってしまいました。
その時に友人が森先生に電報を打ってくれて、知らせを受けた森先生は、夜中に東京から千葉の病院まで薬を持って往診に来てくれたそうです。
そして、病院のストーブで漢方を煎じて、飲ませると、
「こんなところにいたら殺される。わしが家に連れて行って看病する。」
と言って強引に矢数先生を東京の家に連れて帰ってしまい、本当に治してしまいました。
(このエピソードで思うのは、森先生は、矢数先生の才能に気付いていたんだと思います。)
この時、森先生が使った処方は升麻葛根湯に長ネギを加えて煎じたものだったそうです。
升麻葛根湯は、後にスペインかぜにも使った処方でしたね。
(しかしこの場合は長ネギ(葱白)を入れているところもポイントかもしれませんね。)
升麻葛根湯の出典は宋代の『小児薬証直訣』(1119)の付録である『閻氏小児方論』であり、効能は辛涼解肌、透疹解毒であり、葱白は長ネギの白い茎の部分のことで、
散寒解表、通陽の効能がありますので、肺炎の熱をとり、表は温め、内外に陽気を通じさせる、というイメージでしょう。
この信念、ハンパないですね。。。(゜o゜)
僕も現在、北辰会や東鍼校など、東洋医学教育に”端くれ”として携わっていますが、何といっても、この医学に本気になれるのは、こういうリアルな経験、感動が一番いいですね。
森先生の中では「治るか治らないか」に関する明確な物差しがあり、それを運用しただけのことでしょうが、これをしっかり持っているかどうかが非常に重要だと思います。
森先生は平生、
「わしに西洋薬を使わせたら上手に使ってみせる。」
と言っていたそうで、自分なりの評価の物差しがハッキリしていてブレなければ、どんな薬、どんな処置でも的確に分析できる、という意味からの言葉だと思います。
次回、森先生の臨床エピソードで「僕的に」印象的だった話を紹介して終わりましょう。
続く
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2018.09.14
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これまでのお話・・・
さて、ここまでで、森道伯先生を創始者とする「一貫堂医学」が提唱する「三大体質・五大処方」なるものの基本を説明してきました。
一応断っておきますが、私は鍼灸家であって漢方家ではないので、漢方薬の処方解説はあくまでも理論面しか出来ませんし、鍼灸臨床に置き換えて説明することしかできません。
これまでに出てきた漢方薬それぞれ、実際の実践面、臨床面でどうか、というのは、漢方家の先生方にお任せ致します。<m(__)m>
僕のすべての言説は、あくまでも市井の一鍼灸臨床家の視点からのものであります。
・・・しかしまあ、いつものことなんですが、こうやって東洋医学の真面目な内容を書いていると、アクセス数が減りますなあ~~。(~_~;)
(苦笑・・・みんな、勉強嫌いなのね。)
・・・でもいいです、めげずに書きます!!<(`^´)>
書きたいから書く、言いたいこと言う!!(゚∀゚)
五大処方のうち、前回述べた「解毒証体質」に使われる3つの方剤(柴胡清肝散、荊芥連翹湯、竜胆瀉肝湯)は全て、「温清飲」という薬をベースにしています。
この温清飲は、現代では「アトピー性皮膚炎」の患者さんに使用されていることが多いようです。
・・・ところが、最初から単純に効いていなかったり、ある程度までは効いていても、途中で効かなくなったり、あるいは途中から悪化していったり、
と仰って、清明院にみえる患者さんがチラホラいます。
これについて、どういうことか考えてみましょう。
まず温清飲の中身は、当帰・地黄・芍薬・川芎各3.0g、黄連・黄芩・梔子・黄柏各1.5g、だそうです。
上記の当帰~川芎の部分が四物湯の内容、黄連~黄柏の部分が黄連解毒湯の内容です。
配合の分量の比率を単純に見れば、「四物湯>黄連解毒湯」と読めます。
四物湯とは、補血剤(血を補う薬)の代表格で、主に肝の臓の血(肝血)を補う薬だそうです。
黄連解毒湯は清熱剤(熱を冷ます薬)の代表格で、上焦~下焦まで、三焦に瀰漫した邪熱(実熱)を取り去る薬だそうです。
ということは、温清飲は「肝血虚>邪熱」の虚実挟雑証の場合に使える薬、と考えていいのでしょう。
(・・・まあ、そう一概に言えない面もあるかもしれないが)
だとすると、経過中に「肝血虚<邪熱」のように、主従が入れ替わった時、あるいは「血虚」や「邪熱」が解決して、どちらか一方のみの問題になった時、
あるいは「陰虚」や「気虚」「陽虚」「湿熱」「湿痰」などの、肝血虚や邪熱とは別の病理が主になった時には、サッと方剤をチェンジ(変方)しないと、
効かない、あるいは悪化する、という流れになるのは自明です。
(または、そもそも最初からこういう診立て自体が出来ておらず、病名や症状のみからテキトーに処方したのであれば、最初からいきなり悪化することもありえます。)
まあ、臨床上よく見かけるのは、四物湯の成分が中焦を余計に重たくしたり、黄連解毒湯の成分が脾気や腎気を奪ったり、裏の水滞がきつくなって、
肌膚に津液が行き渡らなくなり、そのせいで見かけ上は余計に皮膚が乾燥して悪化したり、というようなケースが多いように思います。
(熱が取れるはずが、余計に皮膚が乾燥して「なんで??」ってやつね。)
病気、それも慢性で難治性の病気となれば、こういう、その時々での変化流転は当たり前なので、鍼灸でも、このような失敗をしないために、初診時にキッチリと問診を取っておき、
治療に来た現時点での「証」のみでなく、現症に至った「病因病理」をキチンと意識しておくことが大事なのです。
とりわけ、皮膚科疾患の場合、中医学でよくいう「皮損弁証」というような、皮膚の状態(乾燥、熱感、発赤、腫脹等々の有無)を意識した診察ももちろん大事ですが、
かといって皮膚の状態「のみ」から診たてただけの、場当たり的な処方、処置は実に危険です。
要は皮膚が「何で」そんな状態になったのか、というメカニズムを考え、時々刻々と変化する患者さんの状態に合わせて、臨機応変に処方、処置を変えていかないと、
とてもついていけません。
アトピーや喘息なんかの場合、そうやって常に先手先手が打てなかったら、普通に負けます。。。(苦笑)
患者さんから、ヤブ医者!ヘタクソ!アホ!ボケ!カス!!です。。。(苦笑)
また、この辺の詳しい話は、山口の村田先生のブログが非常に参考になります。
(膨大な内容ですが、単語で検索ができるので、漢方薬名や病名で色々検索してみて下さい。あっという間に朝になりますよ。(笑))
ドラッグストアで簡単に漢方薬が手に入る昨今、ネットで得た情報から、素人考えでサプリメント感覚で服用して大失敗をしていたり、知ったかぶりの西洋医学のドクターから、
いい加減な処方を繰り返されて、かえって悪化している患者さんを診ると、実に残念な気持ちになります。
東洋医学(鍼灸漢方)は医学ですので、それ専門に何年も、何十年も学び、経験を積んだ先生にしか、本当の意味では使いこなせません。
まずは、せめてそこんところをよくよく理解しましょう。
続く
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2018.09.13
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これまでのお話・・・
前回、三大体質の最後である「解毒証体質」について簡単に説明しました。
前回書き忘れましたが、一貫堂では、この解毒証体質というのは、遺伝的要素も多分にあると考えているようです。
(だから幼児期に治療に着手することを重視してる訳ね)
まあよく言われる、「胎毒※」ってやつですね。
※胎児の間に母体から受けるあらゆる毒(病理)の総称
・・・で、実際に解毒証体質であることの診断は、基本としては望診において
浅黒い(くすんだ)皮膚の色
であり、
体格はやせ型か筋肉質、
腹診において
腹筋の緊張強く、過敏であり、特に肝経上の緊張と、肝臓部(右季肋部)の腫大があること
が重要だそうです。
さらに、小児期の「柴胡清肝散」がフィットするパターンであれば、脈診では緊脈が中心で、頚が細く、胸が狭い、腹診ではくすぐったがる、などの所見が顕著であり、
青年期の「荊芥連翹湯」がフィットするパターンであれば、望診での皮膚の色はよりどす黒く、腹診では肝経上に加えて陽明経上~心窩部にも緊張がきつく、
「竜胆瀉肝湯」のパターンでは脈診上、緊脈の他に”中湿の脈”と言われる、”ボカリボカリ”とした脈を打つ、と言われており(まあこれは難しく考えず、普通に「滑脈」のことじゃないかな、という気がしますが)、
腹証では肝経上の緊張以外に臍周~下腹部の緊張を認めるそうです。
・・・で、これを鍼灸で考えるとどうか、という話ですが、そもそも「解毒証体質」では大枠として「肝の臓の解毒の力」に着眼し、これを高める訳ですから、
治療方針は「肝の臓を上手に調整すること」に他なりません。
ただ、東洋医学のいう「肝の臓」に、生理作用としての「解毒」は特に謳われていません。
しかも東洋医学の概念には「結核毒」なんていう考え方もありません。
(そもそも”細菌”という考え方がない訳ですからね。)
東洋医学では、感染性の強い病原菌に関しては「疫癘(えきれい)の邪気※」という考え方をします。
※感染力や毒性が極端に強い病邪のこと
このように、このブログ上で、かつて再三再四に渡って述べまくったように、東洋医学の言う「肝の臓」と、西洋医学の言う「肝臓(liver)」はまったく違うもの、
と考えた方がいいので、ここを混同しないように、厳に注意したいですが、東洋医学的な「肝の臓」には「疏泄、蔵血」という重要な生理作用があり、
これが失調すれば、要するに西洋医学の言う「免疫力が低下した」状態になりますので、結核その他の感染症には罹患しやすくなるでしょうし、
逆に「肝の臓」の機能を上手に賦活化することが出来れば、結果的に体内の毒素(病理産物)を排出しやすくなりますので、まあ、東洋医学のいう肝の臓には、
「疫癘の邪気」を無害化、無毒化するような、一定の「解毒能」があると言っても、過言ではないと思います。
ただ、何度も言うけどこの辺の、概念の混同には、ホント注意した方がいいです。
(双方の意味をキチンと分かった上で、方便として運用するならいいけども)
かつて『あはきワールド』にも書きましたが、「肝の臓の機能調整」は臨床上、北辰会が最も重要視するところです。
北辰会方式では、肝の臓を調整するには数多くのパターンを持っていますが、まあそれについては、
等の書籍を精読してください。<m(__)m>
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一貫堂の言う「解毒証体質」へのアプローチでは、北辰会が持つ肝病治療の多くのパターンのうちから、温清飲的なアプローチ、つまり、肝血の不足に配慮しながら、
肝気実、肝の実熱を捌くように配穴処置をする、ということですね。
(まあ北辰会の先生でなくても、プロの鍼灸師であれば色々な配穴が思いつくでしょう)
・・・ところで、現代では結核の患者を東洋医学で診る機会はほとんどなく、温清飲にしても、そのもとになっている黄連解毒湯にしても、現代では
慢性で難治性の「アトピー性皮膚炎」の患者さんで使用している患者さんが少なくありません。
これが上手くフィットせずに、あるいは、最初は良かったけど、ある段階から全然効かない、または悪化する、という患者さんが清明院にチラホラ見えますので、
これに関しても、重要なことなので少し解説しておこうと思います。
続く
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2018.09.10
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これまでのお話・・・
一貫堂医学について 2 参照
・・・さて今日は、森道伯の一貫堂医学の言う三大体質の二つ目、「臓毒証体質」について掘り下げます。
「臓毒証体質」とは、風毒、食毒、梅毒、水毒の四毒に侵された体質、だそうです。
この四毒を少し詳しく言いますと・・・、
「風毒」とは、ここではあらゆる病のもととなるようなキツイ邪気のことを言っているようです。
「食毒」とは、そのまんまですが食べ物の毒、それも急性の中毒ではなく、慢性の毒とも言えるもので、要するに肉食中心の偏った食生活や、
暴飲暴食の過剰な栄養だったり、また現代であれば加工食品や添加物などによる 内臓機能の低下なども広く含まれる考え方だと思います。
「梅毒」というのは性感染症で有名なあの梅毒で、現代では残念ながら増加傾向だそうです。
「水毒」というのは腎機能が低下して不要な水分の排出が滞って、水滞(浮腫みも含む)が起こったもののことを指しているようです。
この「四毒」が体内に蓄積し、単一に、あるいは複合して、健康を害しているようなものを、「臓毒証体質」と名付け、
これらすべてを「防風通聖散加減」で治療していた、というワケです。
この体質のものは、ガッチリしていて若いうちは丈夫だが、壮年期になると癌や脳卒中、痔疾や腎疾患を起こすと言われます。
診断は望診、脈診、腹診であり、
皮膚は黄白色、脈は実脈や堅い脈が中心で、腹は全体が堅いか、あるいは全体が軟満しているか、
だそうです。
防風通聖散は、以前このブログでも紹介した金元の4大医家の一人である劉完素(1120-1200)の著作である『黄帝素問宣明論方』(1172)に出て来る方剤で、
もともと熱のこもりやすい人が風寒邪に罹患し、「表裏ともに実」になったものに使う方剤と言われます。
実はこれ、近年になって”やせ薬”みたいに言われて、「ナ〇シトール」だの「コッコ〇ポA」とかいう商品名がついて製品化されています。。。
(しかし、痩せたいからといって安易に使用するのは、危険極まりないので絶対にやめましょうね。)
まあ、こういうものがよく売れるぐらい、安逸過度や暴飲暴食で実熱証、毒素をため込んでいる人が多いというのは、森道伯先生の晩年の、
第一次大戦後の、未曽有の好景気であった大正~昭和初期の日本と似ているのかもしれません。
しかし、私もたまにのぞかせていただき、勉強させていただいている、山口の村田漢方同薬局の村田恭介先生は、そのブログの中で、
「特殊な状況においてしか使う必要のない、まして現代においては全く必要のない、支離滅裂に近い配合」
と断じておられます。(笑)
・・・うーん、この辺、漢方家からしてどうなんでしょうね。
まあ、防風通聖散の方意を見ると、表は風邪邪実、裏は腸胃の湿熱の実、で、表は疏風して裏は清利湿熱で、表裏双解剤、というわけですから、鍼ではどうやるのが近いでしょうかね。
外関や合谷やりながら、上廉で下すような感じ?しかも養血や和中の穴処も加える??
あるいは上腹部の沈んだ実をややキツ目に瀉すか??
(これだと難易度は高いね。)
まあ、確かなのは、防風通聖散も、単に痩せようと思って長期に服用するなんてのは、バカ丸出しだね。(苦笑)
毎日、メシ減らして走ってりゃ、絶対痩せます。
漢方薬のそういう使い方を聞いたら、天国で森道伯が泣いているでしょうな。
続く
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2018.08.31
↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。
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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。
・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。
このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。
・・・さて、どんな人物か。
〇
1867年、大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。
父は白石又兵衛という。
遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。
(清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)
2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。
(だから森姓なわけね。)
12歳で養父が死去。
この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。
(なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)
この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。
(この一冊が原点か。因みに詳細不明。)
1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、
遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。
因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、
道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。
墓マイラー 14 参照
(繋がるね~~(゜o゜))
・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。
この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
(まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)
因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。
(サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)
明治24年、24歳で最初の結婚。
26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。
(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)
明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。
この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。
(この時のエピソードについては後述します。)
1902年(明治35年)、35歳で「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。
(これは明治39年には解散したらしいですが。。)
↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。
医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)
道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。
また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。
30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある「吾道一以貫之」に基づいているそうです。
明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。
1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、
大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。
1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。
(こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)
1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、
長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、
「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」
との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。
(スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))
・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。
今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。
1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。
(ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)
同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。
1931年(昭和6年)、64歳で逝去。
亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。
(ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)
道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、
「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」
と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。
臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、
霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。
〇
以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。
名医らしいエピソードだと思います。
また道伯先生は
「術は以心伝心で初めて伝わるもの」
とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。
もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生の『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。
また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、
『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている
東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、
鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。
お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。
矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、
「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」
と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で
「これで本当に治るんでしょうか?」
と尋ねると、
「疑うような薬なんか飲むな!」
と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。
(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)
・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。
この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。
「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、
和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、
森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、
対比、比較しています。
また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、
単なる偶然でない気がしてなりません。
・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、
鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)
イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。
また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。
◆参考引用文献
『漢方一貫堂医学』矢数格
『漢方一貫堂の世界』松本克彦
『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗
『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会
『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編
『漢方治療百話 第八集』矢数道明
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2018.08.18
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こないだ、更年期障害様ののぼせとめまいで、数年前から定期的に通院されている患者さんが仰った。
この2,3年は、長いこと安定していたが、今年の夏前くらいから、軽いものの、少しメマイが出ているのが気になっていた。
やや怪訝に感じながら治療をしていたんですが、ある日、
「ヨモギ茶をやめて、麦茶に変えたら、ずいぶん調子いいみたい。」
と仰った。
この瞬間、
「あーなるほど!!チェックしとけば良かったーー!!!」
と、僕は思ったんですが、さあこれ、鍼灸師の皆さん、意味、分かりますか?
この患者さんに何が起こったか、即座に予測できますか??
ヨモギの生薬名は「艾葉(がいよう)」です。
性味は「苦・辛・温」、帰経は「肝・脾・腎」、効能は「散寒除湿・止痛・温経止血・袪湿止痒」、禁忌は「陰虚血熱」です。
まあ要するに、深い部分を温め、冷えによる痛みを止める効果がある訳です。
ポイントは「陰虚血熱」のものには禁忌で、冷茶として飲んだとしても、性質的には温める作用が強いことを意味しています。
「ヨモギ茶」というのは、ヨモギの煎じ液のようなものですね。
ヨモギの葉っぱを完全に乾燥させたものを、香りがたつまで炒ってから煎じるようです。
そして「艾葉」は何といっても我々にとって重要な、「お灸」の原料であります。
お灸は、ヨモギの葉の裏にある線維から製造します。
我らが東洋医学が、陰の治療が鍼(金属)だとすれば、陽の治療には灸を、そしてその素材として、数ある植物の中から、ヨモギを選んだんですから、
温める作用は相当強く、確かである、と考えていいでしょう。
それに対して、麦茶はどうかと言うと、「大麦」の種子を煎じたものであります。
大麦については以前書きましたが、生薬名としては「麦芽(ばくが)」と言われ、種子を発芽させた状態で使うようです。
これは性味は「甘・平」、帰経は「脾・胃」、効能は「健脾開胃・行気消食・舒肝・回乳(母乳の出をよくする)」、注意点は「回乳に働くので、授乳期」とあります。
(母乳が出過ぎちゃう可能性がある、ってことかな。)
・・・まあ要は、脾胃を調え、気の巡りをよくするものと思っていいと思います。
麦茶が冷やすのか、温めるのかについては、色々な考えがあるようですが、麦茶の製法については発芽した種子ではなく、種子そのものを水洗いして、
乾燥させたものを軽く焦げ目がつくまで炒って、それを煮出すようです。
ですので、寒熱についてはなかなか複雑です。
以前書いたように、「種子」を食べる、と考えれば陰分が強いかな、と思うが、それを乾燥させてしかも炒ってある、しかもそれを煎じた液体を飲む、
という話なので、陽に思いっきり傾けた種子を煎じた液体、と、思えます。
そいでまた、それをキンキンに冷やして飲むと美味いという。。。
(苦笑・・・まあ、”陰的な作用(気味)”のみを抽出した液体、と考えてもいいのかもしれませんね。)
寒熱に関してはそのように、微妙に調整してあるので、温めるとか冷やすという効能よりも、脾胃を調整する、気の巡りをよくする、ここが麦茶のいいとこでしょう。
・・・と、このように考えていくと、熱証の人が夏場にヨモギ茶を飲むよりは、麦茶の方がはるかに良さそうだ、となるわけです。
冒頭の患者さんは、私の診立てでは思いっきり陰虚で熱証(+大いに湿痰)です。
こういうことがあるので、患者さんが日々良かれと思って飲んだり食べたりしているモノには、注意を払わなくてはなりませんし、こちらから先手先手を打って誘導しないといけません。
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