東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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「望診」の練習

2010.07.12

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僕は普段、ほとんど電車に乗りません。

 


往診にはバイクに乗って出かけるし、家に帰るのもバイクです。

 


まーあと、基本的に苦手なんですよね。

 


東京の満員電車とかって。

(田舎もんなんで・・・。)

 


しかし、月に1回、関西に勉強会に行く時や、昨日のようにイレギュラーに群馬に帰ることになった時なんかは、僕も仕方なく電車に乗ります。

 


嫌いな乗り物に乗る時間を、いかにして楽しい時間に変えるか、変えられるか、これはとっても大事なことです。

「面白き こともなき世を 面白く(by 高杉晋作)」

・・・的な考え方です!

 


そこで10年ぐらい前から、僕の生活の中では比較的貴重な「電車に乗る」という時間を、東洋医学の重要な診察法の一つである、「望診(ぼうしん)」の練習時間にあてています。

 


「望診」というのは、「望んで診る」ですから、目で見た情報のみから、その患者さんの病態を把握する、大変高度な診察法です。

 


鍼の古典に、

「望んで知るを神となす。」(『難経』61難)

という言葉があるくらいで、一瞥しただけでその患者さんの状態が分かってしまうなんてのは”神ワザ”である、と述べられています。

 


当然、僕のような凡人には、見ただけでその患者さんの状態を云々するなんてことはまだまだ出来ませんので、反復練習する必要が大いにある訳です。

 


やり方はまず、自分の車両に乗っている人の中から、最も具合の悪そうな人を見つけ出します。

(ここは直感+理論です。)

 


それで、見つけたならば、その人の立ち方、服装、顔色、誰かといるならばその声色、話し方、髪質、目つき、しぐさなどなど、あらゆる情報を意識的にキャッチします。

 


この時、あからさまに観察している、ということをその対象に気付かれないように、素早く観察するのが一つのポイントかな、と思います。

 


「ジーッと見るのではなく、ふわっと、見るとはなく見る」

・・・これも望診の基本です。

 


そしてそこから、どれぐらいの病理パターンや、その人の持つ症状を想像できるか、頭の中で考えます。

(さすがに実際に話しかけたりはしませんので、答えはもらえないんですが、これがとてもいい思考トレーニングになります。)

 


この、想起できるパターンの数が多ければ多いほど、また、説得力のあるものであればあるほど、

”「視覚情報」から紡ぎ出せる東洋医学的な意味づけ”

の幅が大きい、深い、ということになり、これは普段の臨床に非常に生きてきます。

 


そんなわけで、たまに乗る退屈で窮屈な電車が、僕にとっては「思考実験力」の上達機関へと変化しました。

 


なんかすいません変態っぽいブログで・・・。(苦笑)

 

 


でも、ホント大事だよ。こういうの。

 

 

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「脾」って何ですか?(その2)

2010.06.16

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前回のお話

「脾」って何ですか?(その1)

 

「脾」の解説を続けます。

 

☆「脾」と「胃」はセット

 


東洋医学の「脾」という臓が一番深く関わる臓腑は、何と言っても「胃」という”腑(ふ)”です。

 


よく東洋医学家の間では、この2者をまとめて、「脾胃(ひい)」と呼んで、生理学、病理学を考えます。

 


この「胃の腑」については、また後ほど細かく解説しようと思いますが、東洋医学ではこの両者を、

「概念」の上から、

「機能」の上から、

「形態」の上からも、

キチッと分類し、説明しています。

 


人間の生命維持に欠かせない、毎日のことである「摂食行動」というイベント時には、脾と胃、この両者が非常にうまく協調することによって消化、吸収というスムーズな営みを作ります。

 

つまり「脾」を理解し、治療するためには「胃」への理解も欠かせない、まさに脾胃は2つで1つ、ニコイチ!!という訳です。

 


・・・と言っても、今はまず「脾」の方から解説していきます。

 


まず、人間がものを食べる、あるいは飲む、という行為を行うと、飲食物は「胃の腑」に入ります。

(これはなんとなく、一般的にも理解しやすいですよね?)

 


すると、ここでまず働くのが「脾」です。

 


「脾の臓」というのは「胃の腑」に隣接し、密着している臓、と考えられています。

 


これが、(形態については次回説明しようと思っていますが)刀のような形になったり、馬の蹄鉄のようなU字型の形に変化したりして、

 

飲食物の入った胃の腑をグイグイと揉む、と考えます。

(まあコレが要は、西洋医学的に言う”胃の蠕動運動”ってやつの、東洋医学的解釈です。イメージしにくいかな?)

 


そして、このように脾が胃を刺激することによって、飲食物を、胃よりも下に存在する「小腸の腑」「大腸の腑」に送っていきます。

 


ただ、ここで当然考えなくてはならないのは、単純に入ってきた飲食物を下へ下へ送っていくだけでなく、体にとって必要なものを取り出さなくてはなりません。

 


それこそが「脾」の最も重要な働きなんです。

 


要するに脾は「胃の腑」に入ってきた飲食物から体にとって重要な栄養である「気血のもと」を取り出し、なおかつ速やかに大便、小便を作って、

 

無駄なものが体に溜まらないようにする、「消化、吸収の要」なんです。

 


だからこの「脾」が弱ると、実に様々な消化器症状を呈します。

 


腹痛、下痢、便秘、嘔吐、胃もたれなどなど、挙げていけばキリがありません。

 


そして、「脾」が弱れば、無駄なもの、要らないものが体の中に留まりやすくなりますので、浮腫みやだるさ等の原因にもなり、他の4つの臓にも大変悪影響です。

 

現代は、戦後の食べるものがない時代とは180度違いますので、食べ過ぎ、飲み過ぎ、あるいは食事の欧米化により「脾」を痛めている人がとても多いように思います。

 


パンとコーヒー、チョコレート、キャラメル、ファーストフード、コーラ、スプライト、ファミレスでの肉食などなど、これらはすべて、

 

過剰になると、こぞって「脾胃」をいじめます。

 


小さい頃から、こういう加工食品まみれの食生活をしている現代の子供が、中年になる頃には、一体どんな「脾胃」になっちゃうんでしょうか・・・。

 


うちの身内にもいるけど、現代の、あまりにも多いアレルギーベイビー、消化器疾患の増加の大きな一因に、これがあるような気がしてなりません。

 


やっぱ日本人は白メシとみそ汁、魚と群馬の山で採れた野菜です!(笑)

 


欧米風の食卓や考え方も「一見」オシャレでスタイリッシュでいいけども、自分がどこまでいっても日本人であることを忘れてはイカンよなー、と思います。

 

 


次回に続く

 

 

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「泣く」とはどういうことか(その4)

2010.04.13

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これまでのお話

「泣く」とはどういうことか(その1)
「泣く」とはどういうことか(その2)
「泣く」とはどういうことか(その3)


・・・まあ、人間に当たり前に起こっている現象の一つ一つを、東洋医学ではどう考えるのかな?と考えていくと、何気ない現象から、大変勉強になることがよくあります。

 


そういう一つ一つをいい加減に理解しないことが、治療にとても生きてきます。


(・・・と、僕は思っています。)

 


とはいっても、全部が全部、何もかもがきれいに説明がつく訳ではないし、完全にクリアにはなかなかならないのが面白いところでもあるんですけどネ。(苦笑)

 


今日は、目に対する物理的な刺激で涙が出るのはどうしてか、というお話。

 


そもそも目の表面、角膜というものは粘膜であり、常に少量の涙で洗い流され、潤っています。

(目の表面を触って、パサパサの人、いませんよね?)

 


そして定期的に「まばたき」によって言わば”ワイパー”がかかります。

(5時間ぐらいまばたきしないでも平気な人とか、いませんよね?)

 


そのようにして、常にきれいに、清潔に保たれることによって、光を認識し、「見る」という機能をどうにか果たす、とてもデリケートな機関であります。

 


また、目(眼球)は、どうやっても鍛えようのない機関でもあります。

 


どんなに屈強のレスラーでも、目をつつかれたらたまりません。

 

 

格闘技では目潰しのことを「サミング」といって反則行為としています。

 


この、「常に少量の涙で目を潤し、まばたきをし、目を清潔に保つ」機能の主役は「肝」であります。


(これは「腎」や他の臓腑も関わりますが、あくまで主役は「肝」と言っていいでしょう。)

 


ですので、目に対する物理的な「過剰な」刺激があったときは、この機能も「過剰に」働き、よりたくさんの涙で眼球を洗い流そうとします。

 


前回も述べたように、外的な精神的、肉体的刺激に対する適切な対処の主役は、将軍である「肝」の仕事なんです。

 


ただ、洗い流すためには「水(津液)」が必要になります。

 

 

この「水」の動きの主役になるのが「腎」なんですが、そこはまたの機会に詳しく述べましょう。

 


・・・ところで、「泣く」という現象って、まったくの病的な現象なんでしょうか?

 

 

実はそうではありません。

「泣いたらスッキリした」

とか、

「泣き疲れて寝たらスッキリした」

とか、「泣く」という現象は、病理的な変化への対応などの、あながち悪いことばかりでもないと思います。

 


次回はそのお話。

 

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「泣く」とはどういうことか(その3)

2010.04.12

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これまでのお話・・

「泣く」とはどういうことか(その1)
「泣く」とはどういうことか(その2)


今日は、「感極まる」「感情が高ぶる」ということと、「肝」という臓がどう関わるか、というお話をしようかな、と思います。

 


以前、東洋医学においては、五臓と感情は関係が深い、というお話をチラッとしました。

(カテゴリ「七情について」の8つのお話参照)

 


その中で、「肝」という臓は「怒り」という感情と関係が深い、というお話をしました。

 


しかし、「泣く」という現象は、なにも「怒り」だけで起こってくる訳ではありませんよね?

 


うれしくて泣く、悲しくて泣く、恐くて泣く等々、「泣く」という行動に移るまでの感情は、実に様々です。

 


しかも単純に、目に対する物理的な刺激でも、涙が出ることはあります。

 


それなのに、なんで「泣く」ことと「肝」の関係が深いかというと、感情の過不足、というものは、つまるところ「気の正常な流れ」を障害するからです。

 


つまり、怒れば気が上がり、喜べば気が緩み、思い患えば気が結び、悲しめば気が消え、恐れれば気が下がる訳です。

(カテゴリ七情について参照)

 


そんで、感情の過不足によって乱れた、これ(気の極端な動き)を正常な状態に戻す、主たる臓こそが「肝」なのです。

 


ですので、この感情の過不足がきつければきついほど、「肝」の仕事は多くなります。

 


頑張らなくてはいけなくなります。

 


こうしたことから、「肝」は五臓の中では、

「将軍の官(しょうぐんのかん)」

とも言われ、外的な刺激(精神的、肉体的両面)に対しての対応を担い、適切な対処を考える臓、と位置付けられています。

 


この時、この働きがスムーズに、速やかに発揮出来れば、「泣く」という現象は起こりません。

 

(いわゆる感極まった状態になることはないわけですね)

 


しかしこれが「肝」にとって許容範囲を超えた、大きな負担になるほどの感情の過不足だと、肝の働きが阻害されます。

 


この病理的状態を、東洋医学では「肝欝気滞(かんうつきたい)」と言います。

 


これが長引いたり、あるいは短期的であっても急激に起こったりすると、「気鬱化火(きうつかか)」という状況が起こります。

(なぜ、そうなるのかという細かい話は、話が逸れるので割愛します。)

 


この「気鬱化火」という病理現象が起こると、気は一気に体の「上」に向かいます。

 


つまり、体の「上」「気」が急激に渋滞する訳です。

 


これが「目」で起こると、目は充血(血も渋滞した状態)して真っ赤になり、熱(鬱熱といいます)を持ちます。

 


これだけで終わったら、すぐに「目」がカラカラに乾いて、干からびて失明しちゃいますので、何とかこれを冷やそうと、「肝」やそれ以外の臓腑が協調して、

 

体の中の正常な「水(津液と言います)」が目に「急激に」集まってきます。

 


そして余剰な分が溢れて、目からその水が流れる、これが東洋医学的な「涙(るい)」です。

 


ちなみに、目で起こらない場合でも、この病理(気鬱化火)の場合は、頭痛であったり、肩こりであったり、必ず「上」で症状が起こってきます。


(感情が極まっても、泣く人ばっかじゃないもんね)

 

では物理的な刺激で涙が出るのはどうしてか、次回はそのお話。

 

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「弁証論治」って何ですか?

2010.02.28

今日は、中医学の基本としてよく語られる「弁証論治」とは何か、について書きたいと思います。

僕もコレ、二十歳の頃、最初に本で読んだ時は、何やら難しそうな熟語だな~・・ワケ分かんなそうだな~・・と思いました。

 

そいで、辞書で「弁証」と調べてみたら・・・

「弁証法とは、哲学用語であり、世界の事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則であり・・・」

な~んて出てきて、ますます難しそ~・・!タスケテ~!もう無理~!!ってなっちゃいました。(苦笑)

 

・・・でも、あとからよくよく冷静に考えたら、実は「弁証論治」という言葉を理解すること自体は、意外と簡単なことでした。

 

まず、上に挙げたような、いわゆる哲学用語の「弁証」という言葉と、中医学の言う「弁証」という言葉は、意味が違います。

 

全く無関係でもない、という話もあるんだけど、まずは別物、と考えた方が圧倒的に理解しやすいと思います。

 

東洋医学では、「治療する、その時点における病理状態(病態)そのものや、病態の本質」のことを「証(しょう)」と言います。

 

まずこの「証」を判断してから、それに基づき、論理的に」治療を進めることを「弁証論治」と言います。

 

まさに、

「証を弁(べん)じて治を論ずる」

訳ですネ。

 


東洋医学、中医学の言う「弁証論治」というのは、そういう意味であります。

 

ちょっと難しく(というか詳しく)言えば、

「様々な東洋医学独特の診察法(四診法)のような、具体的な分析方法に基づき、様々な東洋医学独特の手法(鍼灸、漢方薬など)によって、

性質の異なる病変を、論理的に解決する方法、過程」

のことです。

 



 

大事なことなので、ここでさらに説明を加えます。

 

患者さんは、鍼灸院に訪れた時に、その時その場で突然、「今まさに」症状を発症した訳ではありません。

 

鍼灸院にかかるまでの間には、まず、これこれこういう体質を持って生まれ、これこれこういう条件がそこに加わったことがきっかけとなって、今回の症状を発症してから、

 

次にこうなって、次にこうなって、そして最後にこうなったから、今の状態に至った、だから診てもらいたいのだ~!という、言わば「病の歴史」というものがあります。

 

 

 

これを「病歴(既往歴・現病歴)」と言います。

 

 


この「病の歴史(病歴)」を、発症以前のそもそもの体質も含めて、まずは細かくお伺いし、それがなぜそうなったのか、「東洋医学的に」分析し、

 

その結果として、今、この瞬間が、「東洋医学的に」どのような状態なのか、それを表わすのが「証」です。

 

例えるなら、治療するその時点での「病気の断面図」のことが「証」です。

 


「証」を明らかにすることを「弁証(べんしょう)」と言います。

 


そして、「論治」ということは、それを「論理的に治療する」訳ですから、先ほど言った「病の歴史」がキッチリと東洋医学の理論でもって、ピシッと分析出来てなければなりません。

 

なのでよく、中医学の成書では

「弁証は論治の根拠であり、論治は弁証の目的である」

なんて言われます。

 

まあ、それがより正確に、的確に、シャープに出来るようになるために、わざわざ日曜日の度に勉強会に行ったり、飽きもせずに何冊も本を読んだりしてるんです。

 


僕らは毎日毎日、こういうことをやっている訳です。

 


決して超能力者なんかじゃないし、鍼が効くということは、何にも不思議現象、超常現象ではないんです。(笑)

 


もちろん、この医学の大前提としての「気」「陰陽」という、東洋の偉大な自然哲学を「あるものと考えて」こそ、の話ですけどネ。(苦笑)

 

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「風」「火」について

2010.01.23

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「寒燥」、「湿熱」について書いてきたので、せっかくだから「風(ふう)」、「火(か)」についても書いておこうと思います。

 

 


「風」と「火」については、「寒燥」「湿熱」の時のように陰陽一対になっている訳ではありません。

 

 


風も火も、どちらも性質の上から「陽」に分類され、「陽邪(ようじゃ)」と呼ばれます。

 

 


◆「風」について

 


まず「風邪」ですが、これは自然界に吹く風(かぜ)を想像すれば分かりやすいと思います。

 


気圧の高いところから低いところに向かって大気が移動する、あれのことです。

 


これが冷たいところから吹くと寒く、暖かいところから吹けば暖かい気候を形成します。

 


それが極端だったり、季節はずれだったりすると、人体に悪影響を与えやすく、病因になる場合がある訳ですね。

 


ここ何日か、季節外れの南風が吹いて、妙に暖かくなりましたね。

 


皆さん体調は崩していませんでしょうか?

 


古代、この働きをみた東洋医学の医者達は、

「風は百病の長たり」

と言いました。

 

(『黄帝内経素問』玉機真蔵論(19))

 

 

これは要するに「風邪」が他の邪気(寒邪や熱邪など)と合わさって、いろんな病気を連れてくることがある、と考えた訳です。

 


・・・ということは、「風」は自然界(外界)にはあるけど、人間の体内にはないかと言うと、東洋医学では「ある」と考えています。

 


例えば、緊張すると手が震える、ピクピクと筋肉が痙攣する、などの症状を「内風(ないふう)」と考え、人間の体の中に吹く「風」に相当する現象だ、と考えました。

 


手が震えていたり、筋肉が痙攣しているのを見て、風が木々を揺らしている現象と重ね合わせたんでしょうか。

 


おもしろいですね。(^v^)

 


このように、自然現象をそのまま人体に置き換えて考える考え方は、この医学の言う「天人合一思想」に基づいている、という話は以前このブログに書いた通りです。

 


まあ、この見方考え方をして、そのつもりで治療を考えた結果、何の効果も得られなかったら、まったくの机上の空論、ゼロ意味になってしまいますが、

それで効果が得られる、という事実があることは、そこに何らかの真実がある証拠だと思います。

 

 


◆「火」について

 


次に「火」ですが、自然界の「火」は分かりやすいですよね?

 


燃えさかる炎です。

 


山火事、噴火など、太古の昔から「火」が人間に与えるインパクトのすごさは今と変わらなかったでしょうし、人間が生活する上でも、火は欠かせませんよね。

 


・・・この「火」も、東洋医学では人体の中でおこる現象のひとつ、と考えます。

 


詳しい説明は難しくなるので避けますが、これはいわゆる”人体発火現象”みたいなもののことを言っている訳では無く(笑)、人体をめぐる正常な「気」が滞り、

 

鬱滞が長引いたりした時に起こる病理現象の一つとして考えています。

 

 

急激に熱症状が上半身や皮膚に出て、痛みや痒みを引き起こす、非常に激しい邪気、と考えております。

 

 


東洋医学ではこのように、自然現象が時に起こす特徴的な現象を、人体でも同じように置き換えて考え、さらに自然の異常と人体の異常との微妙な関係性にまで注目して、

 

独特の優れた医学体系を構築してきました。

 

 


「じゃあ、近年問題になっているウイルスだとか、新手のばい菌とか、その他のあらゆる病原体については、東洋医学では想定していなかったんだから、対応できないんでしょうか?」

というと、僕はそう思っておらず、

「出来る可能性は大いにあるのではないでしょうか。」

となります。

 


確かに、東洋医学には病原体の構造や種類を細かく分析する、という考え方はありません。

 

(顕微鏡や血液成分の分析など、技術的に出来なかったわけです。)

 

 

しかし、原因はどうあれ、結果的に人体に起こった異常を正常に調える、あるいは近づける方法は、これでもかと言うぐらい考え尽くしています。

 


なので、現代の様々な病気にも、東洋医学の考え方を応用すると、あっけなく治ったりするものが多くあります。

 


病原菌を顕微鏡的に明らかにして、殺してしまうのがいいか、病原菌によって起こった体の異常を調え、結果として病原菌を体から追い出すのがいいか、というアプローチの違いがあります。

 


・・・実際は、どちらがいいかはケースバイケースですので、方法論自体に
優劣はないと思っています。

 


でも、実はこういう分野(東西の医学どちらが適応する病気か)の研究って、全然進んでいないという現実があります。

 


僕らとしては、東洋医学の言う判断基準に従って治療にあたるのみですが、ここら辺(どのタイミングなら東洋医学的手法の方が良いのか)がもっともっと明確になると、

 

患者さんのためにとてもいいことだと思っています。

(今の日本の医療体制じゃ難しいでしょうが・・・。)

 

 


東洋医学と西洋医学が、いつか「患者さんのために」手を組む日が来ることを祈っています・・・。

 

 

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