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「太極」「無極」の意味 3

2019.09.18

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これまでのお話し

 

「太極」「無極」の意味    

「太極」「無極」の意味 2    参照

 

 

さて、続きいきましょう!!

 

 

◆「無極」の意味

 

 

(一社)北辰会の会員諸氏にとって、この「太極」「無極」というパワーワードは、非常に気になるワードでしょう。

 

 

また北辰会の会員以外の先生方も、東洋医学の勉強がある程度進んだら、気になる人は多い筈。

 

 

 

僕がちょうど北辰会にチョロチョロと出入りするようになった2000年代の初頭の頃、蓮風先生はよく「初学者のための太極陰陽論」というテーマで講義なさっていました。

 

(当時は難解で、聴いていてもよく分かりませんでしたが。。。(∩´∀`)∩)

 

 

その講義内容を分かり易くまとめた本が『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』です。

 

 

因みにこの本は、堀内齊毉龍先生『弁証論治のための論理学入門』と姉妹編になっていることも見逃せません。

 

 

しかも、蓮風先生の御尊父である藤本和風先生「無極会」という勉強会を主催されていたことでも知られています。

 

(残念なことに、無極会は現在はありませんし、無極会としての著作も残っていません。。。)

 

 

・・・まあそんな訳で、このワードは藤本家、北辰会が非常に大事にしていることが分かります。

 

 

東洋医学の考え方を理解していくうえで、また、北辰会方式を習得していくうえで、妙に気になる、この「太極」「無極」に対する理解というのは、

 

根本哲学に関わるという意味で、重要ではないでしょうか。

 

 

前回、北宋代の周敦頤(1017-1073)「無極而太極」という、これまたパワーワードを紹介しました。

 

 

ここで、まずは「無極」について調べてみましょう。

 

 

平河出版社『道教事典』によれば、

 

 

◆無極

 

元来は”極まりない”という意味。

 

『老子』『荘子』『列子』に、無名、無物、無形などとともに、”無”の様態を形容する語の一つとして、哲学的意味を付与されている。

 

「老子」という人物

「荘子」という人物

『荘子』の渾沌のお話

「列子」を含む記事          参照

 

(列子に関しては紹介してなかったですね、良い機会なんで、これも書きましょう!!)

 

 

その後、『易経』の「太極」とともに、”太極=有の原理”、”無極=無の原理”として、より重い意味を持つようになる。

 

『易経』を含む記事    参照

 

 

つまり、有の本源に無を置くという思想から、儒教を超える道家思想、という図式を表現した。

 

道教文献の中にはもちろん”極まりない”という意味での「無極」という使われ方もあるが、主に、”太極の本源としての無極”という用例が目立つ。

 

また、「無極」を、経典そのものや、神仙の名称としても用いている。

 

南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。

 

(んー、ここはムツカシー(゜o゜))

 

(以上引用。土田健次郎氏の文章を竹下が抜粋要約補足改変。)

 

 

 

 

・・・まあなるほど、「無極」はもともとは諸家の本に出てくる、極まりない、というほどの意味の言葉だったのが、『易経』の太極(生成論の最初を意味するアレね)と比較検討されていくことで、

 

理解が深まっていき、これも認識論哲学的な、重い意味を持つようになった、と。

 

 

このように、儒家の考え方と道家の考え方というのは、時代時代で接触したり離れたりしつつ、言葉の意味の検討を通じて、切磋琢磨してきた歴史があるようですね。

 

(また、古代中国で、インドから来た仏教を理解するのに、道家や儒家の考え方がその解釈に入っていったことも興味深いですね。)

 

 

まあ、「太極」「無極」という熟語の理解においては、宋代の周敦頤から朱子の流れがやはり決定的であるようで、ここをもう少し理解するためには、

 

朱子学における「理」の意味を少し掘り下げて理解した方がいいように感じます。

 

 

 

続く

 

 

 

【参考文献】

 

『道教事典』平河出版社

 

 

 

 

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