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「蛮社の獄」について。 2

2019.11.09

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前回のお話し

 

「蛮社の獄」について。   参照

 

 

◆高野長英(1804-1850)

 

 

1831年から1845年までの天保年間は、徳川幕府成立(1603)から200年以上が経ち、国内では金銭的に余裕のない庶民が増え、一揆や打ちこわしが相次ぎ、

 

幕藩体制の問題点が浮き彫りになり、一方国外では、産業革命以降の欧米列強から、極東地域は有力な市場かつ補給地と目され、日本近海への外国船の来航が相次いでいた。

 

(因みにアヘン戦争は1840年、黒船来航は1853年です。)

 

 

そんな世相の中、1839年に起こったのが「蛮社の獄」です。

 

 

きっかけになったのはモリソン号事件

 

 

嵐で漂流した日本人7名を外国船が救助し、彼らをアメリカ船のモリソン号で日本に送り届けるついでに通商を結ぼうとしたのを、沿岸からの砲撃で追い払ったことがきっかけです。

 

 

当時は異国船打払令(1825~1842年)があったのである意味当然のことであったが、これに反対した高野長英、渡辺崋山ら8名が幕政批判の罪で逮捕された。

 

 

高野長英は当時36歳の町医者(蘭学者)で、あの順天堂初代堂主、佐藤泰然の師匠の一人でもある。

 

 

高野長英の養父である玄斎は江戸で杉田玄白に蘭方医術を学んだ経験があり、長英は東北(岩手)の生まれであるが、16歳の頃には長崎に出て、

 

あのシーボルトの鳴滝塾で頭角を現し、塾頭にまでなっている人物だ。

 

 

蛮社の獄で逮捕され、終身刑となるが、1844年の牢屋の火事に乗じて脱獄する。

 

(長英が牢屋の使用人をそそのかして放火させた説あり)

 

 

理解者に匿われながら逃亡生活、執筆活動、診療活動を続けるが、1850年には江戸の南青山で再び捕えられ、逮捕の際に暴れて、護送中に死亡したとか、自害したと言われる。

 

 

46年の、実に激しい人生ですな。。。

 

 

脱獄中は硝酸で顔面の皮膚を焼いて人相を変えて逃げていたとか。。。

 

 

現在の日本における西洋医学の興隆も、原点にはこういう命がけの医者の苦労があったということを、東洋医学の側も知らないといけないように思います。

 

 

 

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