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2019.09.16
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前回のお話し
参照
さて、続きいきます。
まずは辞書引きからいきましょうか。
平河出版社『道教事典』によれば、
〇
◆太極
天地万物の根源。
『易経』の生成論(太極→両儀→四象→八卦)の最初。
『周易正義(※)』においては”一元の気”と説明。
(※)唐代に国家事業として編纂された儒教経典の注釈本『五経正義(653年)』の一つ。
北宋の周敦頤(1017-1073)は、太極の無形であることを強調するために「無極にして太極」の語を用いた。
さらに周敦頤は、『周易』の生成論を補足拡大して「無極而太極→陰陽→五行→八卦→万物」と述べた。
その後、南宋の朱子(朱熹 1130-1200)は『太極図説解』の中で周敦頤の「太極而無極」を重んじ、「無極を太極の本体」「太極を無極の作用」としつつ、太極無極の不即不離化をはかった。
朱子はさらに「体用論」「理気説」の立場で宇宙を認識せんとした。
このように、「太極」という熟語は生成論から始まり、朱子に至って認識論という意味を付与される、という変遷をした。
その後、17世紀に明末清初の儒学者、王夫之(1619-1692)が朱子の理気説に反論して「気が理に優先する説」を徹底させた。
因みに王夫之の思想は後の毛沢東にも影響を与えたと言われる。
さらにその後、18世紀に清代考証学の大成者と言われる戴震(1723-1778)が出て、「存在の根源を気に求める思想」を決定的にした。
(以上引用、花崎隆一郎氏の文章を竹下により抜粋補足意訳、箇条書きに変更。)
〇
もともとは万物が陰陽に分かれる前の混沌とした状態のことを「太極」と呼んでいたようですね。
それが、宋代になって、ものごとを認識する際の認識論哲学の用語としても用いられるようになった、という感じでしょうかね。
「体用論」については以前少し書きました。
「体用理論」に関して 5 参照
話しが難しくなってきましたが、東洋医学をきちんとやるなら避けて通れないこの難題、徐々にまとめていきましょう。
続く
2018.05.12
↑↑忘れてはいけない、この場所へ。
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これまでのお話
では続きいきます。
今回の中国研修の観光では、どうしても外せなかったスポットがあります。
それは北京郊外にある「盧溝橋」と「中国人民抗日戦争記念館」です。
僅か100年も経たない過去、1931年(昭和6年)の満州事変以降、緊張が高まっていた、日本と、当時の中国である中華民国。
そして1937年の7月7日、夜の盧溝橋に響いた1発の銃声から、当時の中華民国軍と日本軍が交戦状態となり、これがきっかけとなって、宣戦布告もないままに始まってしまった、
当時の中華民国との全面戦争が「日中戦争」です。
(※1941年の大東亜戦争開戦時に、蒋介石から正式に宣戦布告があったので、正確にはそれまでをシナ事変、そこから終戦までを日中戦争と呼ぶようです。)
それらの発端となった、盧溝橋で起こった武力衝突を「盧溝橋事件」と言います。
・・・で、その後日本は、日中戦争を収拾できないまま、4年後の1941年の12月8日に真珠湾攻撃を行い、ついに英米との全面戦争に至り、8年後の1945年の8月には、
東京、大阪をはじめ、本土の主要都市のほとんどが焦土と化し、沖縄は占領され、広島と長崎には原爆を落とされ、戦場に赴いた前途洋々の優秀な若者を中心に、
300万人以上の尊い人命を失い、最終的にはポツダム宣言を受諾し、終戦を迎えました。
明治維新(1867年)以降、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914年)と、連戦連勝し、富国強兵の道を突き進んだ戦前の大日本帝国の、
「終わりの始まり」
のような場所が、この盧溝橋なわけです。
そして日本は終戦後、GHQによる7年間の占領期間、WGIPによってアメリカナイズされて生まれ変わった民主国家としての復興期、高度経済成長期、
バブル崩壊、その後のITバブルを経て、現代の日本がある訳です。
また、盧溝橋のすぐ近くには、近年では日本から村山富市首相、小泉純一郎首相、公明党の山口那津男代表が訪問したことでも知られる、現代の中華人民共和国による、
反日プロパガンダ教育施設とも言われる有名な「中国人民抗日戦争記念館」があります。
↑↑見ていただくと分かるように、小学生くらいのお子さんが、社会科見学的な感じでたくさん来ていました。
中国にはいくつか抗日戦争記念館があるそうですが、全てこの北京の記念館の内容をモデルにしているそうです。
中には当然、横暴な侵略国としての日本や、「30万人」を強調しまくった南京大虐殺の様子、毛沢東の英雄ぶりが、これでもかと描かれています。
(まあ展示の最後には、”色々あったけど、これからは仲良くしようね”的な、未来志向の様子もチラッとは描かれていますが。。。)
中国のテレビでは日常的に、怖い顔をした旧日本軍が、命乞いをする無抵抗な中国の村人たちを無差別に虐殺するような内容のドラマが、毎日のように放送されています。
(ホテルのテレビでも普通に放送されていました。)
まあ、この記念館に描かれていることの真実性云々については、専門家の議論に委ねるしかないと思いますが、こういう施設が実際にあること、
またその施設に展示されている内容を見聞して、日本人に対してマイナス感情を持つ若い中国の人が多い、ということは厳然たる事実です。
そういうもの(不都合な事実)から目を逸らすのではなく、実際に現場で直視した方がいいと思って、あえて今回、見に行きました。
入場料は無料です。
入場の際にパスポートを見せる必要がありますが、日本のパスポートを出した瞬間、受付のお姉さんと微妙な空気になります。(苦笑)
感想としては、もちろん戦争反対の一語に尽きますが、そもそも日本が中国大陸に進出したのは、1840年のアヘン戦争以降、1853年に黒船が浦賀に来航し、
砲艦外交によって開国を迫られ、やがて自分たちも中国(当時の清国)のように欧米に蹂躙されることを恐れたからですね。
その全体的な流れ、いきさつからすれば、横暴な侵略国、という描き方は正確でないように思います。
いつかビートたけしさんがTVタックルで言っていましたが、
「なんで中国はイギリスには何も言わねえんだろうなあ?」
というのは、率直に思いましたね。
・・・まあ、国家として、こっちと仲良くする気があるんなら、仲良くします。
そうでないなら、損得とかで、ドライに付き合うしかないねえ。(゚∀゚)
続く
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2017.04.17
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これまでのお話
文化大革命と中医学 4 参照
では続きいきます!!
◆今までとこれから
まあここまで、ザックリとではありますが、1960年代~1980年代の、文化大革命期の中医学の状況を見てきました。
毛沢東も、1949年に中国建国後、1950年代には、中医学を振興すると発言をしていたのに、自分が失脚したら、古いものとして弾圧するとは、ヒドイもんですな。
(というか、この辺の感覚がよく分からんね。。(∩´∀`)∩)
老中医の先生方が「妖怪変化」とか言われて排撃対象になっている時、止めろや!かばえや!・・って感じがします。(‘ω’)ノ
政治と医療の関係ね。。。
日本もそうだけど、結局、医学医療というのは、常に国民から必要とされますから、そこにものすごい利権が生じてきてしまうのですね。
国としてどういう方向性で行くか、みたいなことを、いつも政治家が考えないといかんし、その時その時の、国の内部事情の影響を常に受ける訳です。
実際の現場の状況とは関係なく。
1840年のアヘン戦争以降、欧米の列強がアジアに本格的に進出し、その大きな流れが、中国や朝鮮半島や日本を、大きく変容させました。
(黒船来航は1953年、アヘン戦争の僅か13年後です。)
中国や日本の伝統医学は、その大きな政治的な流れの影響を、モロに受けたといってもいいと思います。
ただ、明治維新の時に東洋医学をあっさりと捨ててしまった日本と違い、中医学はアヘン戦争以来150年以上もの間、どうにか命脈を保ち、
常に西洋医学と比較検討されることで、「現代中医学」として生まれ変わり、強くなってきた面があると思います。
(これにも、日本も中国も、色々な背景があったようです。)
そして、何度も存続の危機を迎えても、「臨床現場」でその有用性を示すことで、そこから復興します。
(これは日本も同様ですね。)
だからまあ、患者さんが居る限り、東洋医学は永遠に不滅なわけです。
時代や政治状況がどうなろうが、鍼灸や漢方が、確かに効くからです。
おわり
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2017.04.16
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これまでのお話
文化大革命と中医学 3 参照
では続きいきます!!
◆文革後の中医学復興
1976年、毛沢東の死とともに、文化大革命は収束します。
その後、難を逃れた老中医たちが息を吹き返し、徐々に中医学復興の動きが始まりました。
1982年には、湖南省で会議がもたれ、
「中医・西医・中西医結合」
の3つの勢力をともに尊重し、並存するという政治方針が確定し、中国の憲法にも
「中医学の発展」
という文言が入ります。
この方針が、現在まで「曲がりなりにも」続いている、と言っていいでしょう。
実は、ここでは詳しくは語りませんが、80年代にも、90年代にも、またつい最近も、中医学にはピンチがありました。(苦笑)
でもその度に、乗り越えて来れるのは、要するに中医学が「いいもの」だからだと思います。
因みにこの1982年は、東京衛生学園、教員養成科時代の恩師である兵頭明先生が、中国に留学して中医学士を取った年です。
(僕はその時、1歳です☆( ゚Д゚))
因みに因みに、藤本蓮風先生が関西で北辰会を設立したのが、その3年前の1979年。
(僕は生まれていません☆( ゚Д゚))
実は、僕が今、東洋鍼灸専門学校で教鞭をとっているのは、兵頭先生から、教員養成科の卒業の少し前に、当時東洋鍼灸専門学校の学科長であった、
島田力先生を紹介していただき、その御縁で、東鍼校に講師として呼んでいただいたのが始まり、という経緯があります。
そして、兵頭先生とも、島田力先生の御尊父である島田隆司先生(故人、元内経医学会会長)とも、北辰会の藤本蓮風先生は大変古い付き合いがあります。
何というか、不思議な御縁のようなものを、感じざるを得ません☆( ゚Д゚)
80年代には、焦樹徳(北京)・張鏡人(上海)・鄧鉄濤(広州)・陸完甫(成都)・柯雪帆(上海)らの老中医が訪日し、講演と臨床指導を行いました。
彼らが、日本の中医学の恩人、と言っていいのかもしれません。
(平間直樹先生は、そのように仰っておられます。)
この中でも、広州の鄧鉄濤(とうてっとう)先生は、以前このブログでも紹介しました。
この先生は、とんでもない人物です。
また、鄧鉄濤先生は、2000年代後半から、蓮風先生、北辰会とも交流があります。
それについては、また機会があったら書きましょう。
〇
まあそんなわけで、文革後の1980年代以降、中医学の復興が、不死鳥のように起こって来たわけですね。
まあでも、1980年代くらいは、実際に中国に留学された先生の話を聞くと、まだ中医師が妙にビクついているような空気があったらしいですがね。(苦笑)
続く
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2017.04.14
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前回のお話
文化大革命と中医学 参照
では続きいきます!!
まず、「文化大革命」というものがどういうものかについて、ある程度知らないといけませんね。
文化大革命というのは、中国で1966年から1976年まで続いた、社会的騒乱です。
この騒乱は、1976年に、毛沢東の死とともに収束しました。
まあ、この騒乱の表向きの名目は、
「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう!!という政治・社会・思想・文化の改革運動」
ということなんですが、実際は、毛沢東が1958年から1961年に行った
「大躍進政策」
という超強引な政策(英米に勝つための農業、鉄鋼業の大増産改革)に大失敗して失脚し、それでも再び権力に返り咲くために、政敵を倒すために大衆を扇動して起こした、
中国共産党内の権力闘争が、この騒乱の本質と言われます。
この時、
「四旧(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)」
を破壊する!といって、医学に関しては
「中西医結合(中医学と西洋医学の結合)」
が中国の新しい国家的医学に位置づけられ、それまでの、自国の伝統を残し、伝え、世界に、という意味の「中医学」は、古い文化の残渣 として、排斥されました。
可哀想なことに、この時代にベテランの中医師の先生たち(老中医)は「妖怪変化」とみなされて、労働改造を強いられたそうです。
(ムチャクチャ言いますね。。。)
具体的には、田舎に追いやられて豚の世話係にさせられたりとか、キツイ農業に従事させられたりとか、医療とは全然関係ない強制労働を強いられたようです。
(それどころじゃない、ここに書けないようなケースもあるとかないとか。。。)
毛沢東も、最初は中医学を奨励する立場であったのに、自分が権力の座から失脚しちまったら、そんなん関係ないんかい!!って感じがします。
続く
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2017.04.13
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昨日、学校で、
「中医学ってなぁに??」
というテーマで、再び喋ってきました。
1970年代から、日中韓、それから欧米諸国、WHOも介入して、東洋医学教育の世界基準(グローバルスタンダード)を構築しよう、という動きが起こってきました。
それから約40年以上経って、東洋医学教育のベースに置く理論と用語は、いわゆる「現代中医学」を基本にしていこう、という流れになってきました。
カテゴリ 中医学 参照
近年(2015年)、日本の鍼灸学校で使っている『東洋医学概論』の教科書も、現代中医学の理論をベースとしたものに変わりました。
今後、『東洋医学臨床論』の教科書も、現代中医学の理論をベースとしたものに変わることがすでに決まっています。
(なかなか難航しているとも聞きますが。。)
・・・とまあこのように、現代中医学は現在、今やスゴイ勢いで世界に広まっていっております。
これは、そもそもは現在の中国(中華人民共和国)が1949年に建国された時、当時の毛沢東国家主席が、
「中医学は中国の貴重な財産である!」
という方向に舵を切ったことが大きいと思います。
しかしその後、1966年から1976年くらいまで続いた、有名な「文化大革命」では、随分中医学の医者たちが迫害された事実があるようです。
これはいったい、どうしたことでしょうか?
自国の、守るべき、世界に広めるべき伝統医学である「中医学」の実践者である中医師(特に大ベテランである老中医)を排撃するとは。
続く
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2013.04.22
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「日本脳炎」という病気があります。
東南アジアを中心として、ウイルス感染した蚊(コガタアカイエカ)によって媒介される感染症です。
発病すると、高熱、痙攣、意識障害などを起こし、死亡率は20%、麻痺など、重篤な後遺症が残る可能性がある、とってもコワい病気です。
日本では1960年代後半から、積極的なワクチン接種により、現在は激減し、年間数人程度まで減少していますが、アジア全体ではまだ年間1万人程度が発症しているようです。
この日本脳炎、1954年、中国の石家荘(せっかそう・・・北京の南西に位置する都市)で大流行したことがあります。
この時、西洋医学はなすすべがなかったそうです。
そこで大活躍したのが中医学の医師たち。
「白虎湯(びゃっことう)」や「安宮牛黄丸(あんぐうごおうがん)」などの漢方薬を巧みに使って、見事に日本脳炎を制圧したそうです。
しかし1957年、今度は北京で再び日本脳炎が流行りました。
この時も西洋医学はなすすべなし。
再び中医学の医師たちによって、前回の石家荘の時とは全く違う処方で、大成功を収めました。
このように、中医学は自らの価値を”ウデで示した”のです。
このことを受けて、当時中国の建国の父である毛沢東が
「中医薬は偉大な宝庫だ!」
と考えるようになり、中医学の復権、復興に繋がっていくのです。
地球環境が時々刻々と変化していくので、ウイルスも、それに感染する人間も、姿を変えていきます。
(特にウイルスは、ですね)
ですから、今現在有効なワクチンがあるから今後も平気、という考え方は、極めて危うい。
今後も、環境、人間がなんぼ変化しても、変化しないもの、永久不変の真理を明らかに認識している医学が、力を発揮し続けるのではないでしょうか。
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2013.04.19
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清明院の治療システムである北辰会方式では、理論のベースを「中医学」に置いています。
この「中医学」というのは、新中国(中華人民共和国)が主に1950年代にまとめ上げた、素晴らしい理論体系です。
一般に言われる、「東洋医学」とは、分けて語られます。
それについては、以前書きました。
東洋医学と中医学 参照
これをまとめ上げたきっかけとなった号令をかけた、新中国の父ともいわれる、毛沢東についても、以前書きました。
今回、学生さんからリクエストがあったので、この「中医学」がどういうものかについて、来週、喋ります。
「中医学」は、今後、東洋医学の世界基準になります。
(てか、もうなってますね。)
だから、正確に知っておいて損はない。
なので再度、勉強し直しています。
ありがたい。
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2012.10.16
2012.07.08
2016.05.09
2016.04.12
2016.04.28
2015.06.04
2012.12.23
2014.02.17
2014.04.26
2024.05.01
2024年 5月の診療日時2024.04.13
(一社)北辰会、組織再編。2024.04.02
2024年3月の活動記録2024.04.01
2024年 4月の診療日時2024.03.14
2024年2月の活動記録2024.03.01
2024年 3月の診療日時2024.02.15
2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
3.10(日)(公社)群馬県鍼灸師会で講演します!2024.02.03
3.3(日)「浅川ゼミ会」にて講演します!2024.02.02
2024年1月の活動記録2024.02.01
2.25(日)順天堂東医研、第5回特別公開シンポジウム「日本とインドの伝統医学」に登壇します!!2024.02.01
2024年 2月の診療日時2024.01.11
2023年、9月~年末の活動一覧2024.01.05
診療再開!!2024.01.01
2024年 1月の診療日時2023.12.30
2023年、鍼療納め!!2023.12.21
(一社)北辰会、冬季研修会のお知らせ2023.12.01
2023年 12月の診療日時2023.11.26
患者さんの声(60代女性 背部、頚部の痒み、首肩凝り、高血圧、夜間尿)2023.11.25
患者さんの声(70代女性 耳鳴、頭鳴、頭重感、腰下肢痛、倦怠感)2023.11.22
12.3(日)市民公開講座、申し込み締め切り迫る!!2023.11.21
今週からの講演スケジュール2023.11.16
日本東方医学会学術大会、申し込み締め切り迫る!!2023.11.01
2023年 11月の診療日時2023.10.10
清明院14周年!!2023.10.04
12.3(日)市民公開講座やります!!2023.10.01
2023年 10月の診療日時2023.09.23
第41回、日本東方医学会学術大会のお知らせ2023.09.22
第55回、順天堂東医研に参加してきました!2023.09.21
第27回、日本病院総合診療医学会で発表してきました!!2023.09.20
Dr’s Prime Academiaで喋ってきました!2023.09.01
2023年 9月の診療日時2023.08.18
第54回、順天堂東医研で喋ってきました!2023.08.17
順天堂東医研の学生さんと、「森のくすり塾」へ。2023.08.16
診療再開!!2023.08.01
2023年 8月の診療日時2023.07.24
第53回、順天堂東医研に参加してきました!2023.07.23
(一社)北辰会関東支部に参加してきました!2023.07.22
Dr’s Prime Academiaで喋ってきました!2023.07.21
第73回 日本東洋医学会に参加してきました!2023.07.01
2023年 7月の診療日時2023.06.12
(一社)北辰会関東支部定例会に参加してきました!2023.06.11
(一社)北辰会本部会に参加してきました!!2023.06.10
Dr’s Prime Academiaで喋ってきました!2023.06.09
第52回、順天堂東医研で喋ってきました!!2023.06.08
第14回 日本プライマリ・ケア連合学会学術大会に登壇しました。2023.06.01
2023年 6月の診療日時2023.05.31
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生薬観察登山に行ってきました!2023.05.12
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