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一貫堂医学について 9(矢数格(道斎)先生の治療)

2018.09.17

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これまでのお話・・・

 

 

墓マイラー 52 森道伯先生

森道伯という人物

一貫堂医学について 1(三大体質五大処方)

一貫堂医学について 2(瘀血証体質について)

一貫堂医学について 3(臓毒証体質について)     

一貫堂医学について 4(解毒証体質について)

一貫堂医学について 5(解毒証体質の続き) 

一貫堂医学について 6(温清飲について)   

一貫堂医学について 7(スペインかぜの治療) 

一貫堂医学について 8(感染症と東洋医学)   参照

 

 

 

一貫堂医学が今日まで大きな影響力を持っている原因の一つとして、昭和漢方界の中心人物であった矢数道明先生と、その兄君である矢数道斎(格)先生が、

 

創始者・森道伯先生の弟子であったことが挙げられます。

 

 

因みにこちらが矢数道斎(格)先生

 

 

矢数格:写真:☆☆☆

 

 

↑↑ インパクト満点、一度見たら忘れないお姿ですね。

 

(矢数芳英先生(道斎先生の弟君である矢数道明先生の御令孫)よりご提供いただきました。)

 

 

矢数格先生は明治26年(1893年)茨城県生まれ、はじめ海軍の軍人を志し、中学に入るも、スパルタ式の無茶苦茶な運動をやり過ぎて、3年の時に体を壊し、

 

マラリアに罹り、生死を彷徨う。

 

 

この時、有名病院から専門病院から、どの医者に行っても一向に良くならず、何を食べても、何を飲んでも吐いてしまい、全く飲まず食わずの状態が続いており、

 

終いには吐血して、余命宣告までされる始末だったようです。

 

 

そこで森道伯先生の噂を聴き、藁をもすがる思いで、骸骨のようにやせ衰えた体で上京し、診察を受けると、僅か2週間で、天丼が食えるほどに回復したそうです。

 

 

因みにこの時に、

 

「この薬が胃に入るようであれば治してやる。」

 

と仰って、森先生が使った方剤は五積散だったそうです。

 

(そして五積散の出典は『和剤局方』です。)

 

 

マラリアというのは東洋医学では「瘧(ぎゃく)」とか「瘧病」とよんで、古くは『黄帝内経素問』「瘧論(35)」「刺瘧(36)」の中で詳細に認識されていますし、

 

『金匱要略』の中にも出てきますし、その後の歴代医家も多くの研究を残しています。

 

 

現代中医学でもマラリアを様々に分類し、治療法を提示していますが、「五積散」という選択肢は僕が探した限りでは提示がありませんでしたので、

 

森先生のオリジナル運用法だろうと思います。

 

 

よく名医はこうやって、西洋医学的な病名だの、経過だの、症状の軽重だのに振り回されることなく、自分がよく理解している方剤をシンプルに使って、

 

きれいに治しますね。

 

 

五積散は、風寒外感+内傷寒湿の薬で、解表温裏剤と呼ばれるグループです。

 

 

因みに、2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した中国人の屠呦呦(ト・ユウユウ)先生の研究は、中国伝統医学で使われている生薬にヒントを得た、マラリアの治療薬「アルテミシニン」の研究でした。

 

(因みにこの時一緒に受賞したのは寄生虫薬イベルメクチンで有名な日本人の大野智先生です。)

 

 

 

その後、元気になった矢数格先生は田舎に帰り、学を諦めて自然の中で農作業をする暮らしを4年ほどしていましたが、森先生のような漢方医を志そうと一念発起し、

 

22歳で千葉医専(現千葉大医学部)に入学しました。

 

 

当時は、漢方医の道を志すと言うと、学友から

 

「お前、頭がおかしいんじゃないか?」

 

と言われたそうです。

 

(苦笑・・・この時、矢数君を助けようと、署名が集まった、なんていうエピソードもあるそうです。)

 

 

まあ今で言えば、突然変な宗教に洗脳されたとか、精神に異常をきたしたとか思われるくらい、東洋医学の評判は地に落ちていたのでしょう。

 

 

医学生3年の時、再び無理をして体を壊し、肺炎まで起こし、入院する羽目になってしまいました。

 

 

その時に友人が森先生に電報を打ってくれて、知らせを受けた森先生は、夜中に東京から千葉の病院まで薬を持って往診に来てくれたそうです。

 

 

 

そして、病院のストーブで漢方を煎じて、飲ませると、

 

「こんなところにいたら殺される。わしが家に連れて行って看病する。」

 

と言って強引に矢数先生を東京の家に連れて帰ってしまい、本当に治してしまいました。

 

(このエピソードで思うのは、森先生は、矢数先生の才能に気付いていたんだと思います。)

 

 

この時、森先生が使った処方は升麻葛根湯長ネギを加えて煎じたものだったそうです。

 

 

升麻葛根湯は、後にスペインかぜにも使った処方でしたね。

 

(しかしこの場合は長ネギ(葱白)を入れているところもポイントかもしれませんね。)

 

 

升麻葛根湯の出典は宋代の『小児薬証直訣』(1119)の付録である『閻氏小児方論』であり、効能は辛涼解肌、透疹解毒であり、葱白は長ネギの白い茎の部分のことで、

 

散寒解表、通陽の効能がありますので、肺炎の熱をとり、表は温め、内外に陽気を通じさせる、というイメージでしょう。

 

 

この信念、ハンパないですね。。。(゜o゜)

 

 

僕も現在、北辰会や東鍼校など、東洋医学教育に”端くれ”として携わっていますが、何といっても、この医学に本気になれるのは、こういうリアルな経験、感動が一番いいですね。

 

 

森先生の中では「治るか治らないか」に関する明確な物差しがあり、それを運用しただけのことでしょうが、これをしっかり持っているかどうかが非常に重要だと思います。

 

 

森先生は平生、

 

「わしに西洋薬を使わせたら上手に使ってみせる。」

 

と言っていたそうで、自分なりの評価の物差しがハッキリしていてブレなければ、どんな薬、どんな処置でも的確に分析できる、という意味からの言葉だと思います。

 

 

次回、森先生の臨床エピソードで「僕的に」印象的だった話を紹介して終わりましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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一貫堂医学について 8(感染症と東洋医学)

2018.09.16

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これまでのお話・・・

 

墓マイラー 52 森道伯先生

森道伯という人物

一貫堂医学について 1(三大体質五大処方)

一貫堂医学について 2(瘀血証体質について)

一貫堂医学について 3(臓毒証体質について)     

一貫堂医学について 4(解毒証体質について)

一貫堂医学について 5(解毒証体質の続き)  

一貫堂医学について 6(温清飲について)

一貫堂医学について 7(スペインかぜの治療)          参照

 

 

 

前回、森道伯先生が、大正時代に世界的に流行したスペインかぜ(強毒性のインフルエンザ)に対して、漢方薬で効果を挙げていたことを紹介しました。

 

 

また、ずいぶん前ですが、このブログ上で、広州中医薬大学鄧鉄濤(とうてっとう)先生が、2002年から2003年にかけて世界中に感染者を出した

 

SARS(重症急性呼吸器症候群)に立ち向かって、漢方薬で効果を挙げたという話も書きました。

 

東西医学によるSARSバトル   参照

 

 

鍼灸でも、以前に蓮風先生が非結核性好酸菌症の症例を、内科医の村井和先生とともに『鍼灸ジャーナル 7号』に発表したことがあります。

 

 

日本では残念ながら論文数は少ないですが、中国韓国台湾を探せば、鍼灸で感染症を扱って効果を得たものは、他にもあるんじゃないでしょうか。

 

 

東洋医学は感染症に無力、と切って捨てる人がたまにいますが、果たしてそうでしょうか・・・?

 

 

むしろ東洋医学の歴史は、感染症との闘いの歴史なんじゃないんでしょうか?

 

 

現代の新興感染症にも使える叡智が多分に含まれているのではないでしょうか。

 

 

・・・で、今日は、一貫堂医学の番外編でもないが、東洋医学の感染症に対する考え方を述べてみましょう。

 

 

(一社)北辰会が理論と用語のベースとしている現代中医学の「弁証論治」という基本的な考え方ですが、これの大本は『傷寒論』を著した後漢の張仲景(150?-219)と言われます。

 

”弁証論治”という言い方自体が、『傷寒論』”弁〇〇病脈証并治”という言い方から来ているとか。。。)

 

 

・・・で、その『傷寒論』の内容は、『傷寒論』よりさらに前の『黄帝内経素問』「熱論(31)」の内容や、『難経』58難が元になっていると言われます。

 

 

『黄帝内経』よりもさらに以前は、「病気」というのは、悪霊や鬼が患者に憑りついたもの、と考えられており、治療はもっぱら祝由(お祈り、呪い)であったようです。

 

 

それを『黄帝内経』では、この世界の全ては「気」から出来ているという「気一元の世界観」、そしてそこに働いている法則性である「大極陰陽論」を前提として、

 

自然現象である、人間の生老病死の「病→死」を、自然界、あるいは人体内にある「邪気」が、人体の「正気」を傷っていく過程、と考えるようになり、

 

そしてその「邪気」にはパターン分類があり、人体の側にもまた体質分類があり、それを適切に噛み分けて、何がどうなって病になっているのかを考え、

 

戦略的に治療すれば、病治しができる、という、医学医術の革新(ある意味科学化)を行いました。

 

 

それ以来、その枠組みを前提とした、様々な学説や治療法が開発され、その数千年に渡る膨大な臨床事実の集積は「中国伝統医学」と呼ばれ、

 

現代にまで脈々と受け継がれている訳ですが、この「邪気」という考え方の中でも、自然界にある外来の邪気、つまり「外邪」と呼ばれるものが、

 

現代の西洋医学の言う「細菌」「ウイルス」のことを含む概念です。

 

(ザッと書いたので、もし間違っていたらご指摘ください。<m(__)m>)

 

 

・・・で、東洋医学における感染症の捉え方、治し方は、蓮風先生が以前よく仰っていたことですが、

 

「ここにアサガオの種があったら必ず発芽するわけではないように、種子が発芽するには土、水、空気などなど、それなりの条件が整わないと発芽しない。

 

感染症もこれと同様で、細菌やウイルスがあったら必ず発病する訳ではないように、発病しないように、また、発病しても軽く済むように、

 

患者の側を調えればいいのだ。

 

細菌やウイルスを顕微鏡レベルで分類し特定して、それを死滅させる、あるいは人体の側を強制的にそれに反応しないようにせしめるのが西洋医学、

 

それらが増殖しにくいような体内の状況を調えるのが東洋医学、という違いがある。」

 

ということです。

 

 

もちろん、細菌やウイルスがキチッと特定できて、抗生剤などの治療法も確立されているような感染症であれば、西洋医学のやり方は非常に優れていると思いますが、

 

中にはうまくいかないものもあります。

 

 

そういう時に、意外と効果を発揮するのが、東洋医学の論理と手法だと思います。

 

 

森道伯先生鄧鉄濤先生も、そこんところを良く分かっていたんだと思います。

 

 

次回、ついでなんで、矢数道斎先生が若い頃、森道伯先生に、マラリアと肺炎の治療を実際に受けた話を書いておきましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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一貫堂医学について 7(スペインかぜの治療)

2018.09.15

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墓マイラー 52 森道伯先生

森道伯という人物

一貫堂医学について 1(三大体質五大処方)

一貫堂医学について 2(瘀血証体質について)

一貫堂医学について 3(臓毒証体質について)     

一貫堂医学について 4(解毒証体質について)

一貫堂医学について 5(解毒証体質の続き) 

一貫堂医学について 6(温清飲について)       参照

 

 

 

さて、マニアックな話、ドンドンいきましょう。

 

 

ドンドン読者を置いていきます。

 

 

そしてみんな離れていって、終いには一人になりそうです。(爆)

 

 

・・・ともかくここまで、一貫堂医学における「三大体質・五大処方」について書いてきました。

 

 

よく勘違いされがちなこととして、

 

「一貫堂って、全ての患者を3つの体質に分類するんでしょ?それも全部実熱でしょ??そんなん、無理あるっしょ~~!!(;’∀’)」

 

というミスリード。

 

 

普通に考えて、そこだけ切り取って、名医・森道伯を語れる訳ないですね。(・ω・)ノ

 

 

矢数道斎(格)先生のまとめた『漢方一貫堂医学』には、森道伯先生のほぼ晩年の3年間のカルテに使った方剤が集積して一覧表にしてありますが、

 

当然ながら「それ以前の」数十年がある訳です。(笑)

 

 

まあ、色々な症例やエピソードがあると思うんですが、有名なのは「スペインかぜVS森道伯」のエピソードでしょう。

 

 

まず「スペインかぜ」を簡単に説明しますと、1918年~1919年(大正7年~8年)にかけて起こった、アメリカ発の強毒性インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)です。

 

 

アメリカ発なのにスペインかぜと呼ぶのは、情報源がスペインだったから、だそうです。

 

 

ちょうどこの時は第一次世界大戦(1914~1918)の末期であり、このスペインかぜが大戦を早期に集結させた要因の一つである、という見方もあるぐらいの大事件であったようです。

 

 

そのくらい被害は大きく、全世界で5億人が感染、死者は5千万人~1億人、とも言われています。

 

 

日本にも被害が広がり、現在タレント論客として活躍している竹田恒泰さんの曾祖父君にあたる竹田宮恒久王をはじめ、多くの日本人が感染しました。

 

 

この時、森道伯先生はスペインかぜを3つに分類し、

 

胃腸型・・・香蘇散+茯苓・白朮・半夏

 

肺炎型・・・小青竜湯+杏仁・石膏

 

脳症型・・・升麻葛根湯+白朮・川芎・細辛

 

で治療し、たいへん効果を挙げたそうです。

 

 

これらも、現在でもよく使われる、割かしなんてことない処方なんですが、この処方からしても、決して実熱のみを重視していたなんて思えません。

 

 

スペインかぜの弁証論治を、非常にシンプルな形に落とし込んだように見えます。

 

 

因みに各方剤の出典は、

 

香蘇散は北宋の国定処方集である『和剤局方』

 

小青竜湯は後漢の張仲景(150?-219)による『傷寒論』

 

升麻葛根湯『閻氏小児方論』という本が出典で、有名な葛根湯の変方かと思いきや、やや似て非なる配合の薬です。(笑)

 

 

僕のPCに入れてある『東洋医学辞書』では

 

葛根湯は葛根5.0・麻黄・大棗各4.0・桂枝・芍薬・生姜各3.0・甘草2.0

 

升麻葛根湯は葛根5.0・芍薬3.0・升麻・乾生姜各2.0・甘草1.5

 

と出てきますが、『中医臨床のための方剤学』では

 

葛根湯は葛根12g・麻黄、生姜9g・桂枝、炙甘草、白芍、大棗6g

 

升麻葛根湯は赤芍6g・升麻、葛根、炙甘草3g

 

と、ずいぶん違います。

 

 

こういうの(同じ方剤名でも時代や文献で構成生薬が違う)も、方剤学のややこしいところですね。(苦笑)

 

 

まあともかく、

 

 

香蘇散風寒表証+気滞の薬で、現代ではストレスからくる肩凝りだの胃もたれだのといった、肝鬱肝胃気滞によく使われる薬です。

 

 

小青竜湯風寒表証+脇下の水飲の薬で、現代では「くしゃみ三回小青竜」な~んていう、実に胡散臭い謳い文句があって、花粉症によく使われる薬なんですが、

 

何も考えずに長期服用すれば徐々に内熱が籠っていき、別の病を形成します。(~_~;)

 

 

西洋薬と比べて、副作用がなくて眠くならないから助かるわ、な~んつって、冬から春に長期服用している患者さん、ホントに多いです。

 

 

升麻葛根湯は、小児の麻疹(はしか)の薬として有名で、肺胃の熱毒を叩く薬です。

 

 

これらを強毒性のインフルエンザに巧みに応用した訳ですね。

 

 

・・・まあいずれにせよ、よく後世派と言われる一貫堂ですが、古方派の使うような方剤も臨機応変に臨床応用していたことが分かります。

 

(そういえば後世派、古方派についても書いてなかったですね。いい機会なんでこれが終わったら書きましょう。)

 

 

次回、感染症に対する東洋医学の考え方を書きます。

 

 

 

続く

 

 

 

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一貫堂医学について 6(温清飲について)

2018.09.14

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墓マイラー 52 森道伯先生

森道伯という人物

一貫堂医学について 1(三大体質五大処方)

一貫堂医学について 2(瘀血証体質について)

一貫堂医学について 3(臓毒証体質について)     

一貫堂医学について 4(解毒証体質について)

一貫堂医学について 5(解毒証体質の続き)   参照

 

 

 

さて、ここまでで、森道伯先生を創始者とする「一貫堂医学」が提唱する「三大体質・五大処方」なるものの基本を説明してきました。

 

 

一応断っておきますが、私は鍼灸家であって漢方家ではないので、漢方薬の処方解説はあくまでも理論面しか出来ませんし、鍼灸臨床に置き換えて説明することしかできません。

 

 

これまでに出てきた漢方薬それぞれ、実際の実践面、臨床面でどうか、というのは、漢方家の先生方にお任せ致します。<m(__)m>

 

 

僕のすべての言説は、あくまでも市井の一鍼灸臨床家の視点からのものであります。

 

 

・・・しかしまあ、いつものことなんですが、こうやって東洋医学の真面目な内容を書いていると、アクセス数が減りますなあ~~。(~_~;)

 

(苦笑・・・みんな、勉強嫌いなのね。)

 

 

・・・でもいいです、めげずに書きます!!<(`^´)>

 

 

書きたいから書く、言いたいこと言う!!(゚∀゚)

 

 

五大処方のうち、前回述べた「解毒証体質」に使われる3つの方剤(柴胡清肝散、荊芥連翹湯、竜胆瀉肝湯)は全て、「温清飲」という薬をベースにしています。

 

 

この温清飲は、現代では「アトピー性皮膚炎」の患者さんに使用されていることが多いようです。

 

 

・・・ところが、最初から単純に効いていなかったり、ある程度までは効いていても、途中で効かなくなったり、あるいは途中から悪化していったり、

 

と仰って、清明院にみえる患者さんがチラホラいます。

 

 

これについて、どういうことか考えてみましょう。

 

 

まず温清飲の中身は、当帰・地黄・芍薬・川芎各3.0g、黄連・黄芩・梔子・黄柏各1.5g、だそうです。

 

 

上記の当帰~川芎の部分が四物湯の内容、黄連~黄柏の部分が黄連解毒湯の内容です。

 

 

配合の分量の比率を単純に見れば、「四物湯>黄連解毒湯」と読めます。

 

 

四物湯とは、補血剤(血を補う薬)の代表格で、主に肝の臓の血(肝血)を補う薬だそうです。

 

 

黄連解毒湯は清熱剤(熱を冷ます薬)の代表格で、上焦~下焦まで、三焦に瀰漫した邪熱(実熱)を取り去る薬だそうです。

 

 

ということは、温清飲「肝血虚>邪熱」の虚実挟雑証の場合に使える薬、と考えていいのでしょう。

 

(・・・まあ、そう一概に言えない面もあるかもしれないが)

 

 

だとすると、経過中に「肝血虚<邪熱」のように、主従が入れ替わった時、あるいは「血虚」「邪熱」が解決して、どちらか一方のみの問題になった時、

 

あるいは「陰虚」「気虚」「陽虚」「湿熱」「湿痰」などの、肝血虚や邪熱とは別の病理が主になった時には、サッと方剤をチェンジ(変方)しないと、

 

効かない、あるいは悪化する、という流れになるのは自明です。

 

(または、そもそも最初からこういう診立て自体が出来ておらず、病名や症状のみからテキトーに処方したのであれば、最初からいきなり悪化することもありえます。)

 

 

まあ、臨床上よく見かけるのは、四物湯の成分が中焦を余計に重たくしたり、黄連解毒湯の成分が脾気や腎気を奪ったり、裏の水滞がきつくなって、

 

肌膚に津液が行き渡らなくなり、そのせいで見かけ上は余計に皮膚が乾燥して悪化したり、というようなケースが多いように思います。

 

(熱が取れるはずが、余計に皮膚が乾燥して「なんで??」ってやつね。)

 

 

病気、それも慢性で難治性の病気となれば、こういう、その時々での変化流転は当たり前なので、鍼灸でも、このような失敗をしないために、初診時にキッチリと問診を取っておき、

 

治療に来た現時点での「証」のみでなく、現症に至った「病因病理」をキチンと意識しておくことが大事なのです。

 

「弁証論治」って何ですか?  

再分析(病因病理について)   参照

 

 

とりわけ、皮膚科疾患の場合、中医学でよくいう「皮損弁証」というような、皮膚の状態(乾燥、熱感、発赤、腫脹等々の有無)を意識した診察ももちろん大事ですが、

 

かといって皮膚の状態「のみ」から診たてただけの、場当たり的な処方、処置は実に危険です。

 

 

要は皮膚が「何で」そんな状態になったのか、というメカニズムを考え、時々刻々と変化する患者さんの状態に合わせて、臨機応変に処方、処置を変えていかないと、

 

とてもついていけません。

 

 

アトピーや喘息なんかの場合、そうやって常に先手先手が打てなかったら、普通に負けます。。。(苦笑)

 

 

患者さんから、ヤブ医者!ヘタクソ!アホ!ボケ!カス!!です。。。(苦笑)

 

 

また、この辺の詳しい話は、山口の村田先生のブログが非常に参考になります。

 

(膨大な内容ですが、単語で検索ができるので、漢方薬名や病名で色々検索してみて下さい。あっという間に朝になりますよ。(笑))

 

 

ドラッグストアで簡単に漢方薬が手に入る昨今、ネットで得た情報から、素人考えでサプリメント感覚で服用して大失敗をしていたり、知ったかぶりの西洋医学のドクターから、

 

いい加減な処方を繰り返されて、かえって悪化している患者さんを診ると、実に残念な気持ちになります。

 

 

東洋医学(鍼灸漢方)は医学ですので、それ専門に何年も、何十年も学び、経験を積んだ先生にしか、本当の意味では使いこなせません。

 

 

まずは、せめてそこんところをよくよく理解しましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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一貫堂医学について 4 (解毒証体質について)

2018.09.12

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これまでのお話・・・

 

一貫堂医学について 1

一貫堂医学について 2

一貫堂医学について 3     参照

 

 

 

さて、今日は三大体質の3つ目、解毒証(げどくしょう)体質について掘り下げます。

 

(矢数先生・・・、このネーミング、”臓毒証”と紛らわしいんすけど。。。(苦笑))

 

 

一貫堂の言う解毒証体質とは、四物黄連解毒剤がフィットする体質のことを言うそうです。

 

黄連解毒湯”解毒”という言葉をとって”解毒証体質”と呼ぶことにしたんだそうです。)

 

 

「四物黄連解毒剤」とは、「四物湯」「黄連解毒湯」を合わせた薬のことで、現代日本の薬局等でも簡単に手に入る「温清飲」というお薬のことです。

 

 

簡単に言えば、黄連解毒湯は火熱を取る清熱材、四物湯は血を補う補血剤、この二つを組み合わせた薬が「温清飲」です。

 

 

・・・で、一貫堂医学の言う「解毒証体質」”毒”とは、第一に「結核性毒」のことを言うんだそうです。

 

 

ここで、普通の中医学を学んできた者にとっては

 

「へ?黄連解毒湯の毒が結核毒??なんのこっちゃ??」

 

となるのが普通だと思いますが、この時代の結核は、予防も治療も、非常に重要な病でした。

 

 

国民皆保険もなかった時代、歴代の有名な鍼灸家、漢方家の先生の中には、当時西洋医学が治せなかった結核を、鍼灸漢方で治してもらったのをきっかけに、

 

鍼灸医、漢方医になったという先生がたくさんおられるようです。

 

 

大正、昭和初期の時代の医師にとって、結核を如何に予防するか、なってしまったら如何に治すか、これが非常に大事なポイントだったんでしょうね。

 

『日本の結核流行と対策の100年』森亨     参照

 

 

そしてこの「解毒証体質」は、年齢によって3つの方剤を使い分けるようです。

 

 

すなわち、小児期は柴胡清肝散、青年期は荊芥連翹湯竜胆瀉肝湯を使い分ける、といった感じです。

 

 

まず柴胡清肝散ですが、これは各時代の書物によって微妙に生薬の配合が違うようですが、一貫堂では上記の温清飲桔梗、薄荷葉、牛蒡子、天花粉を加えたものだそうで、

 

要するに「肝経、胆経、三焦経の3つの経絡の風熱邪を叩く薬」なんだそうです。

 

 

これらの経絡が喉頭、頚部、耳周辺を流注することから、ここに熱を籠らせないようにし、扁桃炎、中耳炎を起こさせないようにすることが、

 

幼児期の結核を予防、治療する上で非常に重要と考えたのでしょう。

 

 

次に荊芥連翹湯ですが、これも柴胡清肝散の変法であります。

 

(構成生薬の詳細は、ちょっと複雑なのでここでは省略します。)

 

 

これは何を狙っているというと、解毒証体質の場合、小児期は扁桃炎や中耳炎を起こしやすいが、青年期になると蓄膿症を起こすようになると考え、

 

柴胡清肝散肝経、胆経、三焦経を狙っているのに対して、より「陽明経(顔面部)の風熱邪にターゲットを寄せている」のだそうです。

 

(要は上の横か、上の前か、です。)

 

 

最後に竜胆瀉肝湯ですが、これも歴代の医家によってそれぞれ生薬の配合が異なるようですが、一貫堂処方では、

 

「肝を瀉して水邪を捌き、肝を瀉す力を四物湯で少し緩めている方剤」

 

と、言うことが出来るようです。

 

 

解毒証体質者の場合、淋病や睾丸炎、外陰部の炎症など、下焦を病むことも多く、一貫堂処方の竜胆瀉肝湯は、その治療、予防のために長期服用も可能な体質改善薬であるそうです。

 

 

まあここまでを簡単にまとめれば、柴胡清肝散であれ、荊芥連翹湯であれ、竜胆瀉肝湯であれ、一貫堂が解毒証体質に用いる薬の大本は「温清飲」なわけです。

 

 

・・・で、「温清飲」は清熱解毒の「黄連解毒湯」+補血の「四物湯」です。

 

 

「黄連解毒湯」の初出は752年、王燾(おうとう 670?-755)が著した『外台秘要』「四物湯」の初出は1110年頃、北宋の国定処方集である『和剤局方』だそうです。

 

 

で、「温清飲」の初出は一貫堂医学について 2で紹介した『万病回春』(1587)です。

 

 

ということは、瘀血証体質通導散も、解毒証体質の諸薬の大本である温清飲も、出典は『万病回春』ということになります。

 

 

また、臓毒証体質防風通聖散も、『万病回春』の中には何カ所も出てきます。

 

 

森道伯先生も、江戸期の和田東郭原南陽と同じように、中国明代、龔廷賢の書物である『万病回春』をかなり読みこんでいたことが分かりますね。

 

 

多くの名医が読んだ『万病回春』、現代で東洋医学を行う者として、避けて通れないでしょう。

 

 

 

長くなったんで続く

 

 

 

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一貫堂医学について 3 (臓毒証体質について) 

2018.09.10

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これまでのお話・・・

 

一貫堂医学について 1

一貫堂医学について 2      参照

 

 

 

・・・さて今日は、森道伯一貫堂医学の言う三大体質の二つ目、「臓毒証体質」について掘り下げます。

 

 

「臓毒証体質」とは、風毒、食毒、梅毒、水毒の四毒に侵された体質、だそうです。

 

 

この四毒を少し詳しく言いますと・・・、

 

 

「風毒」とは、ここではあらゆる病のもととなるようなキツイ邪気のことを言っているようです。

 

 

「食毒」とは、そのまんまですが食べ物の毒、それも急性の中毒ではなく、慢性の毒とも言えるもので、要するに肉食中心の偏った食生活や、

 

暴飲暴食の過剰な栄養だったり、また現代であれば加工食品や添加物などによる 内臓機能の低下なども広く含まれる考え方だと思います。

 

 

「梅毒」というのは性感染症で有名なあの梅毒で、現代では残念ながら増加傾向だそうです。

 

国立感染症研究所「日本の梅毒症例の動向について」

 

 

「水毒」というのは腎機能が低下して不要な水分の排出が滞って、水滞(浮腫みも含む)が起こったもののことを指しているようです。

 

 

この「四毒」が体内に蓄積し、単一に、あるいは複合して、健康を害しているようなものを、「臓毒証体質」と名付け、

 

これらすべてを「防風通聖散加減」で治療していた、というワケです。

 

 

この体質のものは、ガッチリしていて若いうちは丈夫だが、壮年期になると癌や脳卒中、痔疾や腎疾患を起こすと言われます。

 

 

診断は望診、脈診、腹診であり、

 

皮膚は黄白色、脈は実脈や堅い脈が中心で、腹は全体が堅いか、あるいは全体が軟満しているか、

 

だそうです。

 

 

防風通聖散は、以前このブログでも紹介した金元の4大医家の一人である劉完素(1120-1200)の著作である『黄帝素問宣明論方』(1172)に出て来る方剤で、

 

もともと熱のこもりやすい人が風寒邪に罹患し、「表裏ともに実」になったものに使う方剤と言われます。

 

金元の4大医家 劉完素(りゅうかんそ)   参照

 

 

実はこれ、近年になって”やせ薬”みたいに言われて、「ナ〇シトール」だの「コッコ〇ポA」とかいう商品名がついて製品化されています。。。

 

(しかし、痩せたいからといって安易に使用するのは、危険極まりないので絶対にやめましょうね。)

 

 

まあ、こういうものがよく売れるぐらい、安逸過度や暴飲暴食で実熱証、毒素をため込んでいる人が多いというのは、森道伯先生の晩年の、

 

第一次大戦後の、未曽有の好景気であった大正~昭和初期の日本と似ているのかもしれません。

 

 

しかし、私もたまにのぞかせていただき、勉強させていただいている、山口の村田漢方同薬局村田恭介先生は、そのブログの中で、

 

「特殊な状況においてしか使う必要のない、まして現代においては全く必要のない、支離滅裂に近い配合」

 

と断じておられます。(笑)

 

 

 

・・・うーん、この辺、漢方家からしてどうなんでしょうね。

 

 

まあ、防風通聖散の方意を見ると、表は風邪邪実、裏は腸胃の湿熱の実、で、表は疏風して裏は清利湿熱で、表裏双解剤、というわけですから、鍼ではどうやるのが近いでしょうかね。

 

 

外関や合谷やりながら、上廉で下すような感じ?しかも養血や和中の穴処も加える??

 

 

あるいは上腹部の沈んだ実をややキツ目に瀉すか??

 

(これだと難易度は高いね。)

 

 

まあ、確かなのは、防風通聖散も、単に痩せようと思って長期に服用するなんてのは、バカ丸出しだね。(苦笑)

 

 

毎日、メシ減らして走ってりゃ、絶対痩せます。

 

 

漢方薬のそういう使い方を聞いたら、天国で森道伯が泣いているでしょうな。

 

 

 

続く

 

 

 

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一貫堂医学について 1 (三大体質五大処方)

2018.09.08

DSC_2617.JPG

 

 

 

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先日、森道伯先生を紹介しました。

 

墓マイラー 52 森道伯先生

森道伯という人物         参照

 

 

森道伯先生が晩年唱えたと言われる、「一貫堂医学」

 

 

現代にまで、影響を与えております。

 

 

これは簡単に言うと、

 

「体質を3つに分類し、5つの処方を上手に使い分ける」

 

という医学なんだそうです。

 

 

3つの体質というのは、

 

① 瘀血証体質(瘀血をため込んでいるタイプ)

 

② 臓毒証体質(風毒、食毒、梅毒、水毒の四毒をため込んでいるタイプ)

 

③ 解毒証体質(肝臓の解毒能が低下しているタイプ)

 

の3つであり、この「体質」そのものを改善することが、病の根本的な治療に重要なのだ、という考えであり、5処方というのは

 

①には通導散、

 

②には防風通聖散、

 

③には、幼少期には柴胡清肝散、青年期には荊芥連翹湯、青年期以降には竜胆瀉肝湯、

 

を、それぞれ加減して用いる、というやり方が根幹だそうです。

 

(上記はどれも現代も用いられる、有名な処方です。)

 

 

・・・まあ、こう簡単に言ってしまうと、いかにもマニュアル漢方みたいですが、森先生はおそらくこの簡単な理論ベースを、加減方で縦横無尽に使い分けていたんでしょうね。

 

 

以前も紹介しましたが、江戸期、和田東郭(1742-1803)が『蕉窓雑話』の中で弟子たちに

 

「方を用ゆること簡なる者は、其の術日に精し。方を用ゆること繁なる者は、其の術日に粗し。世医ややもすれば、 すなわち簡を以て粗と為し、繁を以て精と為す、 哀しいかな。」

 

これを簡単に意訳すると、

 

「薬をシンプルに使う先生はうまい!薬を煩雑に使う先生はヘタ!世の医者は、煩雑な処方を有難がる向きがあるけど、哀しいことだ。」

 

というほどの意味でしょう。

 

 

和田東郭という人物

和田東郭の言葉

墓マイラー5

「四逆散」というお薬 6    参照

 

 

まあ、あれやこれやと、治療を煩雑にやる先生や、それを尊敬するような風潮をクサしている訳です。

 

 

和田東郭森道伯も、著述を好まなかったという点は似ていますし、少数の処置(処方)でバチッと効かせるという考え方は、北辰会の一本鍼にも通じますね。

 

 

なんだかシンパシーを感じる先生達です。

 

(蓮風先生はメチャメチャ本書いてるけど。笑)

 

 

せっかくなんで、一貫堂に関して、もう少し掘り下げましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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(一社)北辰会エキスパートコースに参加してきました!!

2018.09.04

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9.2の日曜は、大阪で行われた(一社)北辰会エキスパートコースに参加してきました!!

 

 

今回は午前中は実技。

 

 

古参の講師である「太陽堂鍼灸院」院長、高木幸二先生に、ちゃっかり治療してもらっちゃいました☆

 

 

高木先生は、約30年前の、藤本漢祥院の内弟子です。

 

 

ほぼ、北辰会の生き字引です。

 

 

ガタイのデカい、声のデカい先生ですが、鍼や診察は非常に繊細で、分かりやすいです。

 

 

今回も非常に勉強になりました。

 

 

午後は大阪で「鍼灸 大仙堂」を開業されている山本克仁先生による講義「問診情報の、弁証への繋げ方」

 

 

北辰会では初診時に1時間以上かけて、症状だけでなく、生活状況や体質についてなど、色々な情報を聴取します。

 

 

でも、そうやって苦労してとった情報を、弁証(診断)に結び付けないとゼロ意味です。(笑)

 

 

今回、それをどうやって結びつけるか、非常に丁寧に講義して下さいました。

 

 

最後は若手のホープ、「藤本玄珠堂 武庫川分院」院長である松本賢一先生による症例発表「アトピー性皮膚炎」

 

 

藤本玄珠堂と言えば、私も昔から非常にお世話になっている、藤本新風先生の鍼灸院です。

 

 

そこの分院長である松本先生。

 

 

真横(座長)に本院長がいるという、極限の状況下での発表でした。(笑)

 

 

生まれつきのアトピー性皮膚炎という、決して簡単とは言えない病気に、鍼一本で、たいへんよく頑張っている症例だと思います。

 

 

初診は今年の春であり、まだまだ経過の短い症例ですから、これから数年かけるつもりで、キッチリ根本から治してあげて欲しいと思いますね。

 

 

そして終わった後は酒。。。

 

 

今回はドクターや薬剤師の先生方と、漢方トークが爆発しました。

 

 

北辰会の症例カルテには、あらゆる勉強のネタが詰まっています。

 

 

 

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『医道の日本』通巻900号

2018.09.03

dsc_26135603165976265679490.jpg

 

 

 

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我々の業界では知らない人はいない、『医道の日本』という業界誌。

 

 

戦前、約80年前からあります。

 

 

漢方医学復興運動が盛り上がり始めていた、昭和初期です。

 

 

創刊には、私が現在、非常勤講師としてお世話になっている東洋鍼灸専門学校の初代校長である柳谷素霊先生も関わっています。

 

柳谷素霊という人物    参照

 

 

この雑誌の通巻900号(9月号)に、清明院元副院長の松木宣嘉先生「私の学び方 伝え方」というテーマで寄稿します。

 

 

この号には、北辰会の橋本実千代先生も同じテーマで寄稿します。

 

 

そして、次に出る80周年記念号(10月号)に、私も「技の原点 学びの原点」というテーマで寄稿します。

 

 

何気に今回、『医道の日本』に寄稿するのは初めてでした。

 

 

デビュー作であります。(笑)

 

 

この号には、藤本蓮風先生も同じテーマで寄稿します。

 

 

いずれも、見逃せない内容になっています。

 

 

ぜひ買いましょう☆

 

 

9月号のご予約はこちら!!

 

 

10月号のご予約はこちら!!

 

 

永久保存版的内容です!!!(*‘∀‘)

 

 

 

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森道伯という人物

2018.08.31

20180830_205920.JPG

 

 

↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。

 

 

 

 

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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。

 

 

・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。

 

 

このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。

 

「森道伯」を含む記事 参照

 

 

・・・さて、どんな人物か。

 

 

 

 

1867年大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。

 

父は白石又兵衛という。

 

遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。

 

 (清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)

 

2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。

 

 (だから森姓なわけね。)

 

12歳で養父が死去。

 

この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。

 

 (なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)

 

この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。

 

 (この一冊が原点か。因みに詳細不明。)

 

 

1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、

 

遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。

 

因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、

 

道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。

 

賀川玄悦という人物

墓マイラー 14      参照

 

(繋がるね~~(゜o゜))

 

 

・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。

 

この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。

 

 (まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)

 

因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。

 

 (サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)

 

明治24年、24歳で最初の結婚。

 

26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。

 

(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)

 

明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。

 

この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。

 

(この時のエピソードについては後述します。)

 

 

1902年(明治35年)、35歳「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。

 

 (これは明治39年には解散したらしいですが。。)

 

↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。

 

医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)

 

道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。

 

また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。

 

30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。

 

「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある吾道一以貫之に基づいているそうです。

 

 

明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。

 

 

1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、

 

大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。

 

 

1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。

 

 (こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)

 

 

1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、

 

長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、

 

「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」

 

との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。

 

 (スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))

 

 

・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。

 

 

今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。

 

 

1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。

 

 (ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)

 

同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。

 

 

1931年(昭和6年)、64歳で逝去。

 

亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。

 

 (ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)

 

道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、

 

「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」

 

と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。

 

臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、

 

霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。

 

 

 

 

以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。

 

丸山昌朗という人物 

墓マイラー 36 丸山昌朗先生  参照

 

 

名医らしいエピソードだと思います。

 

 

また道伯先生は

 

「術は以心伝心で初めて伝わるもの」

 

とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。

 

 

もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。

 

 

また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、

 

『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている

 

東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、

 

鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。

 

 

お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。

 

 

矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、

 

「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」

 

と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で

 

「これで本当に治るんでしょうか?」

 

と尋ねると、

 

「疑うような薬なんか飲むな!」

 

と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。

 

(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)

 

 

・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。

 

 

この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。

 

 

「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、

 

和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、

 

森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、

 

対比、比較しています。

 

 

また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、

 

単なる偶然でない気がしてなりません。

 

和田啓十郎という人物

墓マイラー 39  和田啓十郎先生    参照

 

 

・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、

 

鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)

 

 

イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。

 

 

また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。

 

 

 

 

◆参考引用文献

 

『漢方一貫堂医学』矢数格

『漢方一貫堂の世界』松本克彦

『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗

『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会

『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編

『漢方治療百話 第八集』矢数道明

 

 

 

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