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先日、墓マイラー 15という記事を書きました。
今日はその時墓参した、柳谷素霊先生(1906-1959)を紹介します。
〇
素霊先生は1906年(明治39年)、青森に生まれました。
1923年(大正12年)、18歳で鍼灸師免許を取得。(千葉県)
1927年(昭和2年)、 22歳で日本大学法文学部宗教科に入学し、同時に、素問と霊枢から一字ずつ取って”素霊”と号して、素霊鍼灸塾を創設する。
(早い!!そしてこの号から、志の高さが読み取れますね。)
1931年(昭和6年)、25歳で東京、両国の東京鍼灸医学校の教頭となり、機関誌『東京鍼灸医学誌』を発行する。
(精力的ーー!!(*‘∀‘))
1934年(昭和9年)、29歳で日本漢方医学会を結成、翌年、日本高等鍼灸学院を創設。
1937年(昭和12年)、32歳の時、拓殖大学漢方医学講座が始まり講師となる。
翌年、日本高等鍼灸学院の同窓会誌『蓬松』(1937年5月創刊)を引き継ぎ、戸部宗七郎氏によって、『医道の日本』として創刊される。
(業界では有名な業界誌『医道の日本』も、もとは素霊先生なんです。)
この頃、東亜医学協会の理事となる。
1940年(昭和15年)、35歳の頃に、「古典に還れ」をスローガンに、岡部素道、井上恵理らと古典鍼灸研究会を創設。
1943年(昭和18年)、38歳の頃に、日本鍼灸医術研究所が結成され、顧問となる。
日本鍼灸医術研究所とは、所長に駒井一雄医師、副所長に竹山晋一郎、主任に本間祥白といった、当時の業界の錚々たる面々で構成された団体であったが、当時戦況は日に日に悪化し、活動は苦難に満ちたものであった。
またこの頃、優秀な弟子である岡部素道に『霊枢』、井上恵理に『難経』、小野文恵に『鍼灸重宝記』を研究するように指導した。
1945年(昭和20年)、40歳の時に空襲により治療所兼住宅が全焼。札幌に移住。
1947年(昭和22年)、42歳の時、東京、飯田橋の大村誠氏宅で日本高等鍼灸学院を再開。
1949年(昭和24年)、44歳の時に拓殖大学付属正明高等学校理療科(後の東洋鍼灸専門学校)科長に就任。
1955年(昭和30年)、50歳の頃にフランス国際鍼学会の招聘により渡欧し、フランス、ベルギー、西ドイツの学会で日本の古典鍼灸術を紹介し、フランス、パリ鍼学会顧問に就任。
1957年(昭和32年)、52歳の頃、新宿に東洋鍼灸専門学校を創設、初代校長に就任。
1959年(昭和34年)2月20日に東京逓信病院にて、永眠。54歳。
東洋鍼灸専門学校を創立した直後であり、二度目の渡欧を目前に控えた、あまりにも早すぎる死でした。
〇
・・・とまあ、輝かしいというか、太く短く、非常に精力的、情熱的で、激しい人生を送った先生です。
素霊先生が残した功績とメッセージは、没後50年以上が経った現代においても、極めて鮮烈なものであり、現代でも知らない鍼灸師は少ないでしょう。
何故若くして、ここまでの大仕事をやってのけたのか、やってのけることが出来たのか、また、そもそもなんでそれを志したのか、そのあまりにも膨大なエネルギーの源泉は、
私には分かりませんが、素霊先生の御父様(名前は清作)は鍼灸をやっており、お母様(名前はかし)は祈祷師のようなことをやっていたようですが、
その辺の家庭環境と、何か関係があったのかなあ、という感じです。
(詳しい方、教えてください!!<m(__)m>)
そして、素霊先生と北辰会は微妙に縁があります。
素霊先生が島根県、出雲の鍼灸師会でモデル患者に対して実技デモをやった時、 その主催者側に、蓮風先生のお父様である藤本和風先生がおられ、そのモデル患者を、柳谷先生が触る前に和風先生が診ており(治療はしていないそうです)、
その患者に対する診立てが素霊先生と一致していた、という逸話があります。
そのモデル患者さんは五十肩のような、上肢が挙がらない患者さんだったらしいですが、柳谷先生はそれを「大腸の弱り」と診断し、足の復溜という経穴と、手の合谷という経穴を使って、
その場で見事に治してみせたそうですが、その後に和風先生が素霊先生に、
「この症例は気海一穴か大腸兪一穴ではイケませんでしたか?」
と問うと、素霊先生はシブい顔をされていたという、僕らからすればワクワクするようなエピソードがあったそうです。 (笑)
また、素霊先生の有力なお弟子さんの一人である小野文恵先生が、後になって主宰されていた「東方会」の機関誌『東方医学』に、若い頃(まだ20代?)の蓮風先生が、
和風先生とともに座談会に出席したり、いくつか論文を投稿したりしています。
(因みにこの雑誌、『東方医学』で編集長をやっていたのが、後の積聚会会長、小林詔司先生だったりします。(笑))
そして、つい数年前ですが、蓮風先生による特別講演が、東洋鍼灸専門学校で実現したことがありました。
諸事情により、二回も中止になったのですが、三度目の正直で実現しました。
その懇親会の席で、蓮風先生のところに、素霊先生のお弟子さんであった宮入隆博先生が挨拶に見えたときに、蓮風先生が
「素霊先生は私の心です。」
と仰っていたのが非常に印象的でした。
歴史の重みと連続性、鍼灸に命を懸けた先哲の人生、シンプルに”尊敬する”とか言っちゃうと、なんか空々しい感じもするけど、まあー、その情熱に感動しますね。
私も、東洋鍼灸専門学校で講義をする時にいつも心がけていることとして、
「教室の一番後ろに柳谷素霊先生が立って聴いていると思って喋る」
というのがあります。
こう考えて喋ると、気合が入ります。
◆参考文献
績文堂出版『評伝柳谷素霊 選集別巻』柳谷素霊選集刊行会編
〇
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2016.04.14

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これまでのお話・・・
補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法
補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法
補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法
補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法
補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法
補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法
補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法
補瀉 8 『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法
補瀉 9 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法
補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法
補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法
補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法
補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法
補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法
補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ
補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ
補瀉 17 『難経』71難における補瀉
補瀉 18 『難経』76難における補瀉
補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き
補瀉 20 『難経』78難における補瀉
補瀉 21 『難経』79難における補瀉
補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ
補瀉 23 孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉
補瀉 24 金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉
補瀉 25 金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉
補瀉 26 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉
補瀉 27 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その2
補瀉 28 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その3
補瀉 29 明代、李梃『医学入門(1575)』における補瀉
補瀉 30 明代、高武『鍼灸聚英(1529)』における補瀉
補瀉 31 現代中医学における補瀉
補瀉 32 日本における補瀉の受容
補瀉 33 『針道秘訣集』における補瀉
補瀉 34 『杉山真伝流』における補瀉 1
補瀉 35 『杉山真伝流』における補瀉 2
補瀉 36 永田徳本(1513?-1630?)『鍼灸極秘伝』『徳本多賀流針穴秘伝』の補瀉
補瀉 37 『杉山流三部書』における補瀉
補瀉 38 岩田利斉『鍼灸要法』における補瀉
補瀉 39 岡本一抱『鍼灸抜萃大成』における補瀉
補瀉 40 本郷正豊『鍼灸重宝記』における補瀉
補瀉 41 菅沼周桂(1706-1764)『鍼灸則』における補瀉
補瀉 42 石坂宗哲(1770-1841)『鍼灸茗話』における補瀉
補瀉 43 坂井豊作(1815-1878)『鍼術秘要』における補瀉
補瀉 44 澤田流における補瀉 参照
では続きいきます!!
明治時代に受難にあった東洋医学は、国内全体としては存続の危機を迎えつつも、力強く臨床を続けた先人たち、また何より、
それを熱心に支持した患者さん達の支持によって、命脈を保ってきました。
そして、昭和の時代に入って、
「本来の古典的な考え方に基づく、東洋医学本来の鍼灸治療を復活させよう!!」
という動きが高まり、昨日紹介した澤田健先生と、もう一人、私が現在講義させていただいている東洋鍼灸専門学校を作った、
柳谷素霊先生が登場します。
この二人の先生は、我々北辰会の代表である藤本蓮風先生にも、多大な影響を与えている二人と言っていいと思います。
◆柳谷素霊先生、そして経絡治療学会における補瀉
柳谷素霊先生(1906~1959)は、昭和2年(1927年)に、この業界では非常に有名な言葉である「古典に還れ」というメッセージを強く叫んで、
臨床、教育、研究、古典書籍の出版等々、膨大な仕事をしました。
(本人が言った言葉ではないという説あり。どーでもいいが。(笑))
柳谷先生の著書の中に『補瀉論集』という本があり、その中に、江戸期の様々な先生による「補瀉」に関する考え方が紹介してあります。
その冒頭(第一章)に、
「補は正気を補うのであり、瀉は邪気を排除するのである。」
と述べ、
「鍼灸によって与える刺激の”緩急劇易”こそ、補瀉手技を解明する手がかりであると考える。」
と述べています。
そして、当時、柳谷先生のもとに集まった有力な弟子たちがのちに組織した「経絡治療学会」という学派は、現在の日本の鍼灸界でも、
非常に大きなプレゼンスを示しています。
僕が鍼灸学校に通っていた頃も、学校の有力な先生の中には経絡治療学会の先生が何人かいらして、クラスメイトの何人かは、
学校の勉強の延長のような感じで、当たり前のように経絡治療の勉強会に参加していました。
その学派の考え方を持った学校教員が多いということは、当然そうやってフォロアーも増えますから、その分業界に与える影響も大きくなります。
(反対勢力、対抗勢力の存在も含めて。)
経絡治療学会の前身である「新人弥生会」が発足したのが昭和14年(1939年)ですから、現在、2016年までの約80年の歴史が、
この業界に与えた影響は計りしれません。
因みに、現在も使われている経絡治療学会の教科書である『日本鍼灸医学 基礎編』には、補瀉の基本として、
徐疾の補瀉、強弱の補瀉、開闔の補瀉
について述べ、実際の手法として、
鍼の材質や長さ、迎随、深浅、呼吸、徐疾、開闔、前柔、後柔、捻転、揺動など
の手技を挙げ、気が至ったら(効果が出たら)抜鍼する、と説いています。
なるほど、基本的な内容であり、これまでこのシリーズに書いてきたことを、標準的に網羅したような内容なんですが、
要はこの”気が至る(効果が出た)”、つまり、適切な補瀉がなされたかどうか、ということを、どうやって判断するか、
そして、そう判断できる根拠はなにか、というのが、最も重要なポイントじゃないかな、と思います。
続く
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2016.04.12
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「患者さんの声」をいただきましたので紹介します。
20代 女性
【症状】1か月以上治らないカゼ症状(咳、痰、微熱、悪寒、下痢)
【既往歴】十二指腸潰瘍、生理痛、不正出血
最初、清明院に行ったきっかけは1ヶ月以上風邪をこじらせたことでした。
どこの病院に行っても、待ち時間は長いのに診察は1分程度・・・
全然治らず、不安な私に、鍼灸の勉強をしている弟が、ここしかない!と勧めてくれて、清明院に行きました。
病院嫌いで注射も大嫌いな私が、鍼なんて無理!と思いましたが、そのときは藁にもすがる思いでした。
4枚にわたる問診票
1時間以上の問診
そして1時間の治療
とにかくたっぷり聞かれて、たっぷり話しました。
正直、記憶の中で薄れている部分も多いところまで聞かれて、逆に普段の自分の生活と向き合う時間にもなったような気がします。
最初は緊張してばかりでしたが、先生がとても話しやすく、たくさん聞いてくださるので、だんだん打ち解けるようになり、
自分の体をとことん診て、治してもらえる!と信じて通うようになりました。
最初は週2回ずつ通いました。
治らなかったカゼが、1週間くらいで咳は治り、その後、すぐに痰も絡まなくなりました。
お腹はなかなか治らなかったのですが、先生を信じて通い続け、そこから1ヶ月弱くらいで良くなりました。
それからは、症状以外の体調を整えてもらい、できるだけ健康体になるように、先生に言われるがまま通っています。
体のちょっとした異常から、病気の芸能人のニュースなどで精神的にも不安になったりすることもあり、その度に先生には診ていただいて治療してもらっています。
ちょっとでも痛い、変な感じを伝えると先生は親身に診てくださり、心配なければ心配ない!と言ってくださるので、
とりあえず何かあったら相談してみようといつも思っています。
去年、移転リニューアルしてから完全個室になり、他の患者さんたちに自分の状況が聞こえなくなったので、話しやすくなりました。
今ではかなり元気になったので、通う頻度も減りましたが、ここなら安心!という病院ができただけ心強いです。
鍼灸院や東洋医学はマイナーで足を踏み出しにくいとは思いますが、病院嫌いの私でも、すすんで行く病院です!
ぜひ皆さんに一度行っていただきたいです!
【清明院からのコメント】
本症例は、初診がH27年の6月、ある鍼灸学生さんからの紹介でした。
この症例は、発症当初、一般的なカゼ症状から始まり、病院で投薬治療を行い、一定の改善を見るも、それ以上の効果に関してはお手上げ状態になっていた症例です。
こういう症例も、意外と多く診ます。
西洋医学の病院が処方するかぜ薬(西洋薬)というのは、基本的にはカゼに伴って起こる諸々の症状を、表面的に緩和するものしかなく、
薬を飲んだら症状は楽になったけど、かえって経過は長引いた、という結果になってしまう患者さんが少なくありません。
また、医師を対象に取ったアンケートで、
「あなた自身がカゼを引いた時、薬を飲みますか??」
という問いに、飲むと答えた医師は極端に少なかった、という有名な話もあります。
http://biz-journal.jp/2015/09/post_11561.html
(因みに私の知り合いの、西洋医学バリバリのドクターも、そう言っていました。)
そういった理由から、近年、カゼを根本から治療しようということでなのか、「漢方薬」を処方するドクターも増えていますが、
私の知人の漢方薬専門の薬剤師の先生からは、皆さん口を揃えて、
「知ったかぶりの、全然デタラメな東洋医学の知識でもって、患者さんにまったく的外れな漢方薬を処方するドクターが多過ぎる!」
と聞きます。
これらは、現代医療の由々しき問題の一つですね。
大変嘆かわしい現実だと思います。
・・・でまあ、こういう状態になっている患者さんに、清明院の鍼は良く効きます。(笑)
この患者さんも、初診時、今回のカゼも関与した「肝脾同病(肝気逆、湿熱)」と証を立て、治療を開始すると、一回の治療で非常に大きな効果が得られました。
その後も順調に経過し、下痢症状のみ、若干ぶり返すことがありましたが、初診から1カ月弱、計7回の治療で、全症状消失しました。
まずまず、鍼がよく効いた症例と言っていいと思います。
このように、カゼなどの急性の軽症の疾患であっても、間違った治療、対応を重ねることで、治りにくくなり、ついにはもともと体質的に弱い部分を、
さらに弱めてしまう結果になってしまうことは、少なくありません。
当然それが大病、重病に繋がる可能性もあります。
こういう経験をした患者さんは、その後は自分の身に何かあると、すぐに鍼に診せに来るようになります。
(笑・・・体で覚えるワケです。)
この患者さんも、現在では清明院のすぐ近くの会社に転勤されたこともあって、1、2週に1回、健康の維持増進を目的に、
通院を継続されております。
「カゼに鍼が効く」という事実は、現代日本の国民にはほとんど知られていないと思います。
でも実際に効くのです。
東洋医学では、数千年前から当たり前に、カゼを診療してきました。
何かあったら、早い段階で清明院に鍼に来ることをお勧めします。
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2016.04.03

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これまでのお話・・・
補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法
補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法
補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法
補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法
補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法
補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法
補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法
補瀉 8 『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法
補瀉 9 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法
補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法
補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法
補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法
補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法
補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法
補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ
補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ
補瀉 17 『難経』71難における補瀉
補瀉 18 『難経』76難における補瀉
補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き
補瀉 20 『難経』78難における補瀉
補瀉 21 『難経』79難における補瀉
補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ
補瀉 23 孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉
補瀉 24 金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉
補瀉 25 金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉
補瀉 26 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉
補瀉 27 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その2
補瀉 28 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その3
補瀉 29 明代、李梃『医学入門(1575)』における補瀉
補瀉 30 明代、高武『鍼灸聚英(1529)』における補瀉
補瀉 31 現代中医学における補瀉
補瀉 32 日本における補瀉の受容
補瀉 33 『針道秘訣集』における補瀉
補瀉 34 『杉山真伝流』における補瀉 1
補瀉 35 『杉山真伝流』における補瀉 2 参照
では続きいきます!!
◆永田徳本(1513?-1630?)『鍼灸極秘伝』『徳本多賀流針穴秘伝』の補瀉
御園夢分斎と同じ時代にいたのではないかと言われる有名な医家に、永田徳本がいます。
この人物も、以前紹介しました。
実はこの人物は、多賀法印という人物に師事したと言われているのですが、実は夢分流の創始者と言われる夢分斎も、同じ多賀法印に師事していたのではないかという研究がありましたが、
最近の研究で、それが間違っていたことが分かっているようです。
こうやって、歴史研究というのは新事実が発覚したりして、発展していくものなのです。
この辺の、江戸期の日本古流派の登場人物の関係性については、非常に熱心に調べていらっしゃる先生方がたくさんおられますので、そのうちもっともっと色々なことが明らかになって、
それがまとまった教科書でも出してくださると、我々としては頭をスッキリと整理するのに非常に役立ちますので、応援したいです。
・・・まあともかく、永田徳本は『鍼灸極秘伝』の中では特定の経穴に対する鍼の刺し方を述べ、『徳本多賀流針穴秘伝』の中では、
補瀉の重要性を述べ、「先補後瀉」の原則や、補瀉するにあたって、痛くなく打つことの重要性などを述べています。
ここでは深入りしませんが、この「刺針時の痛み」をどう考えるかというのも、一つのテーマかと思いますね。
まあ、永田徳本自体は、補瀉に関して、さほど目新しいことは言っていません。 (‘Д’)
続く
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2016.03.12

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これまでのお話・・・
補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法
補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法
補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法
補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法
補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法
補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法
補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法
補瀉 8 『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法
補瀉 9 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法
補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法
補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法
補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法
補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法
補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法
補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ
補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ
補瀉 17 『難経』71難における補瀉
補瀉 18 『難経』76難における補瀉
補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き
補瀉 20 『難経』78難における補瀉
補瀉 21 『難経』79難における補瀉
補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ
補瀉 23 孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉
補瀉 24 金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉
補瀉 25 金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉 参照
では続きいきます!!
◆明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉
金代に 竇漢卿が『針経指南』を書いて以降、中国で鍼の補瀉と言えば、ますます色々な”手技”が主張されるようになったきらいがあります。
(刺鍼してから、鍼を捻ってみたり、弾いてみたりはもちろん、そのタイミングや回数についてまで、実に細かく、どんどん複雑化していきました。)
元代~明代に至ると、その動きはますます加速して、明代末の『鍼灸大成』(1601)に至って、ほぼほぼ集大成されたようです。
(まさに鍼灸”大成”ネ。この辺の時代は、明代前期の『鍼灸大全』(1439)とか、『鍼灸聚英』(1529)とか、総集編的な本がたくさんあります。)
この『鍼灸大成』については、以前”八脈交会八穴”を調べていた時にザーッと読みました。
なぜ八脈交会八穴なのか 参照
そう言えば当時(10年近く前かな?)、蓮風先生から、
”お前もそろそろ『鍼灸大成』を読め。何が足りないのかが分かる。”
と言われたことがありました。
また、1972年の田中角栄の日中国交正常化以降、早い時期に中国に留学し、当時はまだけっこう生きていた著名な老中医たちに、鍼を教わった先生が、
歴代の膨大な文献のうち、何から読んだらいいかと尋ねると、多くの老中医が口を揃えて『鍼灸大成』と言っていたそうです。
こういうエピソードからも、いかに重要な本であるかが分かると思います。
その『鍼灸大成』に、有名な「金鍼賦(きんしんふ)」という文があります。
(”賦(ふ)”というのは”歌賦(かふ)”のことで、重要なことを書いた歌みたいな文章のことです。)
ここに、呼吸の補瀉とか、男女で打ち方を変えたり、鍼を捻る方向で寒熱を分けたり、提挿(ていそう)といって、鍼を引き上げるか押し進めるかで補瀉を分けたり、
あるいはこれらの組み合わせをやったりと、非常に複雑な鍼の手技が書かれています。
(苦笑・・・ややこしいですねー)
長くなったので続く
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2016.02.07

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前回のお話
補瀉 1 参照
では続きいきます!!
◆『黄帝内経素問』調経論(62)における補法
ここには、
「神不足者、視其虚絡、按而致之、刺而利之、無出其血、無泄其気、以通其経、神気乃平。」
とあります。
訳しますと、
「神気が不足している患者には、経絡の虚を診て、そこを揉んだり鍼したりして気を流し、気を通じさせ、神気を回復させるべきです。
この時、出血させたり、気を漏らしてしまってはいけません。」
とのことです。
また、
「持鍼勿置、以定其意、候呼内鍼、気出鍼入、鍼空四塞、精無従去。方実而疾出鍼、気入鍼出、熱不得還。
閉塞其門、邪気布散、精気乃得存。動気候時、近気不失、遠気乃来。是謂追之。」
ともあり、これも訳しますと、
「鍼をもって放置せず、まず自分の気持ちをよく落ち着けて、患者の呼気の時に刺入します。つまり、呼気の時に生じる虚に乗じて鍼を刺入するのです。
こうすると、鍼とその周囲がしっかりと密着し、気が漏れることがありません。そして気が流れてきたらすぐに、吸気時に、
鍼を抜いて、鍼の穴を閉じます。」
と、あります。
ここでも、離合真邪論と同じく、呼吸と開闔によってなされる補法ついて、述べられています。
補法をしたいときに、吸気に刺すべきか、呼気に刺すべきか、離合真邪論と調経論で解釈が分かれているようにも読めますが、
息を吐ききった時に刺入し、吸気時に鍼を進め、吸気時に抜鍼する、こう考えるのが普通ではないでしょうか。
天空の気(清気)が体内に入ってくるときに、鍼でもって、気が虚ろな経穴に全身(全宇宙といってもいい)の気を誘導し、結果的にその経穴に正気を満たし、
結果的に経絡の気の流れを正常たらしめ、結果的に五臓六腑の働きを賦活化するのが補法です。
続く
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2016.02.01

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これまでのお話
奇恒之腑について 3 参照
では続きいきます!!
◆東洋医学における「脈」とは。
本日は「脈」というものについて解説します。
奇恒之腑における「脈」というのは、西洋医学で言う”血管”と似ているものであります。
(厳密に考えていくと違うので、混同しないでほしいですが、血が通る道、管腔状の組織、という意味では同じです。)
まあ要は、臓腑の定義から言えば、「脈」は管腔状でありますが、便や尿や汗と違って、血は体外にどんどん漏らして捨てていくわけではなく、
キッチリ一定量を体内に蔵しつつ、全身を循環してくれないといけないので、「脈」は腑の様でありつつ、血を蔵する臓でもある、というところから、
奇恒之腑に数えられているんだと思います。
東洋医学の言う「血」というものについては以前書きました。
因みに、ちょっと話はずれますが、東洋医学ではこの「脈」のことを「脉」と書く場合があります。
これ(漢字)の意味の違いについても、以前書いています。
「脈」か「脉」か。 参照
この「脈」についても、『黄帝内経』に当然記載があります。
『黄帝内経霊枢』決気篇(30)には、
「営気が漏れないようにしてるのが脈でっせ~。」
とあり、また『黄帝内経素問』脈要精微論(17)には、
「脈の別名は、血之府(けつのふ)と言いまっせ~。」
とあり、『黄帝内経素問』痿論(44)には、
「心の臓は全身の血脈を統括してまっせ~」
とあり、『黄帝内経霊枢』九鍼論(78)には、
「人の生命が成立するのは血脈があるからでっせ~」
とあり、『黄帝内経霊枢』論疾診尺(74)には、
「血脈を診ると、赤が多ければ熱、青が多ければ痛みあり、黒が多ければ痺れとなるよーん。」
とあります。(意訳by竹下)
歴代医家や、現代中医学も、基本的にこの理解に沿っているようです。
ここから分かるのは、
「血脈は、血による濡養を全身に行うために必要不可欠であり、心の臓を肺の臓がフォローしながら、全身に血を律動的に推動している道である!!」
「全身を循環する”気”を、軽清な衛気と、相対的に重濁な営気とに分けた時、営気が正常に循環するためには血脈の状態がよくないといけない。」
「血脈の状態がよくないと、心の臓に負担がかかり、また、心の臓の状態がよくないと、血脈に負担がかかる。」
と、いうことであります。
続く
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2015.12.20
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患者さんから、
「先週カゼを引いててー、・・・」
という話をされることがあります。
そういう時、私は間髪入れずに
「診せに来ればよかったじゃないですか。」
と声をかけます。(笑)
ここで、リアクションは2パターンに分かれます。
1.「え?カゼって鍼で治るんですか?」
となる患者さん。
このことについては、何回か書いていますが、哀しいかな、現代ではカゼを引いたら近所のコンビニや薬局で薬を買って、
仕事休んで、遊び行かないで、家でお粥食って薬飲んで寝込んで、それでも治らなかったら病院に行く、というのが国民の常識です。
ファーストチョイスで鍼に行く、という人はごく少数派でしょう。
(鍼灸院の患者さんと、鍼灸師ぐらいかも!?(苦笑))
でも、東洋医学では数千年前から当たり前にカゼの治療を行っています。
ですので、こういう患者さんにはまず、そのことをキチッと教えてあげないといけません。
現代日本で東洋医学を実践するものの責務でしょう。
もう一つのリアクションパターンは
2a.「いやー、来たかったんですけど、忙しくてー、・・・」
とか、
2b.「いやー、来たかったんですけど、熱が出ちゃって動くのもしんどくてー、・・・」
という場合。
こういう患者さんは、鍼でカゼが早く治る、楽になる、ということを分かっています。
ここで、2.のパターンの患者さんであっても、自分の今の症状が”カゼ”なのか”喘息”なのかイマイチ区別がつかない、
なんてことがよくあります。
カゼと喘息は違うのか。
長くなったんで続く。(笑)
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2015.10.03
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「患者さんの声」をいただきましたので紹介します。
2015.09.30

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これまでのお話(分かり易いように、タイトルを付けました)
「尺膚診(しゃくふしん)」について(イントロ)
「尺膚診」について 2(『史記 扁鵲倉公列伝』における尺膚診)
「尺膚診」について 3(『黄帝内経素問』平人気象論(18)における尺膚診)
「尺膚診」について 4(『黄帝内経素問』通評虚実論(28)における尺膚診)
「尺膚診」について 5(『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形萹(4)における尺膚診)
「尺膚診」について 6(『黄帝内経霊枢』論疾診尺(74)における尺膚診)
「尺膚診」について 7(『黄帝内経霊枢』邪客篇(71)における尺膚診)
「尺膚診」について 8(「表をもって裏を知る」の重要性)
「尺膚診」について 9(「表をもって裏を知る」の重要性その2)
「尺膚診」について 10(『黄帝内経素問』脈要精微論(17)における尺膚診)
「尺膚診」について 11(『難経』13難における尺膚診)
「尺膚診」について 12(『傷寒論』における尺膚診)
「尺膚診」について 13(『腹証奇覧翼』における尺膚診) 参照
では続きいきます!
◆多紀元簡(たきげんかん)の『素問識(そもんし)』における尺膚診の記載
「尺膚診」について 4と、「尺膚診」について 10に、日本の多紀元簡という人物の言説をチラリと紹介しました。
この人物の紹介は、また後ほど詳しくするとして、彼の代表作である『素問識』の中でチョイチョイ、この尺膚診について述べてくれております。
一つは、『素問』の17篇目、”脉要精微論”を解説した部分です。

↑↑このような図とともに、細かく解説してくれております。(『素問識』より)
ここで彼が述べているのは、
「”尺”というのは前腕のことでアール!」
という説です。
それを言うだけでなく、前腕のどこで何を診るのかまで、わざわざ図にしてくれています。
専門家の方々は参考にするべきでしょう。
この前腕に書いてある文字を見て、あ!と、ピンとくるべきです。(笑)
もう一つは『素問』の28篇目、”通評虚実論”の解説部分です。
ここには、
「脈診で経を診て、尺膚診で絡を診る」
という論が提出されております。
経絡、経絡、と言うが、経が相対的に深く、絡は相対的に浅い、という論から始まり、さらに、経には営気が満ち、絡には衛気が満ちる、
という論から、脈が熱なのに尺膚が寒であるものについて、考察してくれております。
・・・とまあこのように、日本にもスゴイ先生がいた訳です。
(今でもいるけど)
この『素問識』なんかを読んでますと、『黄帝内経』のみならず、その周辺の有名な古典も、すべて頭に入った上で、平易に分かりやすく配慮しながら、慎重に解説しているのがよく分かります。
恐るべし、多紀元簡・・・。(苦笑)
尺膚診に関してはここらでいったん切って、また折に触れて解説してみたいと思います。
続く
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2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
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